第12話：悪意ある噂　作：光芒

「ふぅ……」
「だ、大丈夫ですか？」

　綾香が取ってきた食事を腹に収めると、遊希は小さく溜息をついてベンチへと座る。
やはり昼間のデュエルの影響が残っているのか、身体を倦怠感が覆っており、いつもより食欲は沸かなかった。

「大丈夫よ、激しいデュエルの後はいつもこう。まあ今日みたいに倒れちゃうのはめったにないことだけどね。それよりあなたは？ 私に気付かず食べたいものを食べていいのよ？」
「わ、私も小食でして……それに騒がしいのは……」
「ご飯は少人数で食べたいわよね。それこそルームメイトの4人とかさ。あ、でも綾香と千夏がいるから結局うるさいわね……困ったわ」
―――はぁ……遊希。そんなんじゃいつまで経っても一人ぼっちだぞ？
「うっさい、あんたに言われたくないわ」
「ふぇっ！？」

　光子竜と話していた遊希は思わず声を出してしまい、隣に座っていた詩織をはじめ、数人の生徒が遊希の方を見る。遊希は周囲をきょろきょろと見回すと、恥ずかしそうに下を向いた。

「あ、あの……」
「ごめん。今のはね」
「もしかして精霊さん、と？」

　遊希は無言で頷いた。昔はこんなことを言ってもだれも信じてくれはしなかった。大人は当然として、自分と同い年の子供であってもだ。最もそれらの人々はデュエリストとして遊希が成功した後にあっさりとその時の意見を翻してきたのだが。だからこの手の反応に慣れている遊希は詩織がこのことに懐疑的であっても何も気にならなかった。

「……凄いです！」
「えっ？」

　しかし、詩織から返ってきた答えは遊希の予想だにしないものだった。

「精霊さんかぁ……いいなぁ」
「ちょっと待って。精霊なんて非科学的なものがあるって本当に思ってるわけ？」

―――お前が言うな。というツッコミを光子竜から受けるも、遊希は構わず話を続ける。精霊を持つ遊希が精霊という存在を疑わしく思う光景は傍から見れば変なものではあったが、詩織はそのようには感じていなかった。

「まあ私には見えないし聞こえないですけど……天都さんがいるって言っているのであれば、いるんだと思います」
「私を信じるの？」
「直接見たことないので……でも、デュエルモンスターズを作ったペガサス・J・クロフォードは精霊の存在を明言してましたし、過去の名デュエリストたちは皆総じて精霊を従えていたとも聞きます」
「名デュエリストねぇ……そうなれればいいんだけど」
「なれますよ、きっと。まあ私デュエルはあんまり得意じゃないでよくわからないんですけど……」
「はぁ、まったく……」

　遊希はやれやれ、と言った様子で溜息を付く。それでも詩織のこの言葉は嬉しかった。遊希自身も言ったことなのだが、精霊という非科学的なものを信じている人間はまずいない。それこそ遊希本人や竜司ら遊希に一定の理解のあるデュエリストくらいだ。
　そのため白い眼で見られることに何ら抵抗は無いのだが、自分と同世代のデュエリストによるこの言葉は何より彼女の自信につながった。

「あのさ」
「はい？」
「……その、ありが」

　遊希がありがとう、と素直な気持ちを伝えようとした時である。ガチャーン！という何かが割れたかのような音が会場中に響いたのは。

「い、今の音は？」
「誰かが皿でも落としたとか？」
「……見てください。陽川さんが！」

　詩織が指差した方に目をやると、千夏が数人の男子生徒相手に掴み掛っていた。

「てめえ、女子だと思って下手に出てれば付け上がりやがって！！ ぶっ飛ばすぞ！！」
「やれるものならやってみなさいよ！ そっちが謝るまであなたを許さないんだから！！」
「上等だ！」

　男子生徒の仲間が千夏を取り囲む。小柄な千夏が腕力で男子相手に勝てるわけがない。ましては入学初日から暴力沙汰になっては、今後の学生生活にも悪影響が及んでしまう。

「……ったく！」

　遊希と詩織は取り皿をベンチに置くと、すぐに千夏の下へと向かった。掴み掛った千夏とそれにやり返そうとする男子生徒。
　遊希たちより先に綾香が千夏を羽交い絞めにする形で止めに入るも、千夏は腕をぶんぶんと振り回しては「離して！」と叫びながらなお掴みかかろうとしていた。千夏は背格好こそ小柄であるが、力は見た目以上に強かったのである。

「千夏！」
「あっ、遊希！ 詩織！ 千夏止めて！ 私一人じゃ無理！！」

　遊希と詩織が助勢に加わることでなんとか千夏を抑え込むことに成功した。しかし千夏は大人しく出来ても千夏に掴み掛られた男子たちの腹の虫は当然収まらない。

「……ん、お前らは噂の2人じゃないか」
「……噂？」

　千夏が殴り掛かっていた男子生徒は遊希と綾香の姿を見てそう吐き捨てる。その言葉には強い悪意が感じられた。

「先に殴り掛かってきたのはこいつだぞ？ お前らこいつの肩を持つのかよ！」
「……私たちはこの場に居なかったわ。千夏とあなたたちの間に何が起きたかは知らない。だから何が起きたのか聞く必要がある」
「聞くまでもないね！ 俺たちが楽しく駄弁ってたら、いきなりこのチビが突っかかってきて……」
「嘘よ！ あんたたちは私の大事なものを侮辱したじゃない！」
「侮辱だぁ？ 俺たちは事実を言ったまでじゃねーか！」
「そんなの事実じゃない！ 訂正して！！」

　制止する綾香と詩織を振り切って、激高した千夏が再度男子生徒に殴り掛かろうとする。そんな時、騒ぎを聞きつけたミハエルら教師たちが現場に駆け付けた。

「お前たち、何をしている！」

　ミハエルの檄が飛び、千夏と男子生徒が一歩下がる。いつにも増して冷たい瞳で2人を見るミハエルに、男子生徒の仲間たちがその時の状況を説明し始めた。
　当然その証言は揃って「喋っていたら突然千夏が殴り掛かってきた」という旨のものだった。現場に居合わせただけあって信憑性は彼らの方がどうして高くなってしまう。ミハエルは彼らの証言を聞いた上で千夏に状況の説明を求めた。

「さて、彼らは君が殴り掛かってきたと言っているが……」
「……殴ったわ。最初に殴ったのは私よ」
「ほう、認めるのか」
「でも殴ったのには理由があるわ。あいつらは私の大事なものを侮辱したんだもん！！」
「……侮辱とは、どういうことですか？」

　人混みをかき分けて来たのは竜司だった。いつものように穏やかな面持ちをしているが、その瞳にはさっきのような笑みはない。

「あいつら、あることないことを言いまくってました！」
「あることないこと？」
「……天都 遊希はデュエルモンスターズの精霊を使って親を殺した。星乃 綾香は親の名前で合格した裏口入学だ……そう言っていたのよ！」

　千夏のその言葉を聞いて竜司やミハエルら教師たちの顔が曇る。勿論遊希についても綾香についても全て事実無根である。だが、彼らが話していることは既に多くの生徒の間に広がってしまっていた。

「酷い……酷すぎます」
「なんだよ、俺らだって聞いた話を話しているだけだ。責めるならその噂を流した奴を責めるんだな」
「……」
（噂……そういうことか）

　黙って話を聞いていた綾香は拳をぎゅっと力強く握りしめ、男子生徒たちを睨み付けていた。綾香個人としては千夏同様に男子生徒たちに殴り掛かりたかったが、そんな彼女を制止していたのは遊希だった。
　当然遊希もはらわたが煮えくり返る思いであったが、自分が陰口を言われること自体には慣れがあった。しかし、今回の件で遊希が何よりもショックだったのはやはり自分といることで無関係な人にも風評被害が及んでしまうことがこのような形で実証されてしまったことだ。

「……」
「校長、お気持ちはわかりますが、今の我々はあくまで教育者です。全ての生徒に公平に対処しなければ……」
「わかっています」

　竜司は今回の件について千夏と主だった男子生徒たちに3日間の自室謹慎を言い渡した。謹慎中はデュエルディスクを没収されてしまうため、当然デュエルは出来ない。それでも暴力沙汰に発展したとはいえ、3日間という短い間の謹慎は新入生である千夏たちには十分に温情をかけられた処分と言えた。

「お前たち、今回の事件の罰として3日間の間デュエルは禁止する。だからデュエルディスクは没収させてもらう。まあデッキやカードはそのままにしておくからその謹慎期間で色々調整することは出来るが」
「……ただ、若きデュエリストにとって3日間とはいえ、デュエル出来なくなるのは少々きついでしょう。そして、今回の件で色々と禍根が残るのは避けておきたい……そうだ、君たち。これから手打ちとしてデュエルを1戦行いませんか？」

　竜司の提案にミハエルはやや渋い顔をするが、校長の言う通りこれで生徒間の禍根が和らぐのであれば、という理由でこれを承諾した。

「……デュエル？ デュエル出来るのね！」
「千夏、頑張ってね」
「うん」
「……どうしたんですか？ 元気が無いような……」
「デュエル出来るのは嬉しいけど、こんなことが起きたばかりだから……楽しんでデュエル出来るのかな？」
「勝ち負けなんて関係ないわ。私たちにとってはあんたが楽しんでくれることが一番嬉しいんだし、気にせず自分の思いの丈をぶつけてくるといいよ」
「わかったわ！ まあ、デュエルの相手が遊希じゃないのが納得いかないけどね！」

　綾香のその言葉に千夏はいつもの笑顔を取り戻すと、自室にデュエルディスクとデッキを取りに行った。デュエル開始は30分後。会場となる懇談会の会場は新入生のみではなく、話を聞きつけた上級生たちもデュエルの観覧に集まるなど、例年に増して盛り上がりを見せていた。