第31話：隠された涙（9/1加筆修正）　作：光芒

　長期休暇中やゴールデンウイークといった長い休みの間はデュエルアカデミア全体が休みになるため、学内の施設はほとんどが休業する。それは学食も例外ではなく、その間学校に残る生徒は食事や入浴などは自分たちで済まなければならない。
　遊希たちの部屋においては普段料理を担当する千夏が実家に帰っており不在のため、遊希と綾香は担当を分担することに決めた。しかし、遊希は案の定それらの仕事に積極的ではないため、渋々綾香がそれを取り仕切っている状況にあった。

「遊希」

　綾香はまな板に乗せたニンジンを切りながら視線はそのままに後ろで戸棚から皿を取り出す遊希に声をかけた。

「……何？」
「あんたは……あっちで休んでいていいわよ。それか先にシャワー浴びちゃって。あんたどうせ大して手伝わないでしょ。だったら先に片づけときたいの」
「……そう？ じゃあ、お言葉に甘えることにするわ……」

　キッチンで盛り付け用の皿を並べていた遊希に綾香はそう言って遊希を先に風呂に入れる。部屋に戻った後の遊希はいつもに比べて口数が少なく、どこかぼーっとしているように思えたので変に手伝わさせると皿の1枚2枚は割りかねなかった。最もそれは建前であり、綾香の頭の中にはさっき竜司から言われた言葉がぐるぐると回っていた。彼女なりに父の言葉について考えていたのである。

―――彼女はとても強く凛々しいが、それと同時にとても繊細でか弱い子だから。

　竜司からのメッセージを字面のまま受け取れば、今のクールな遊希は仮の姿だったりするのだろうか。
　しかし、このひと月彼女と寝食を共にした綾香には到底それを信じることが出来なかった。デュエルは学年の誰よりも強く、成績は優秀。顔は美しく髪は癖があるけど綺麗、当然スタイルもとても良く、ファッションなど年頃の女子が気にすることに全く気を留めないところは短所と言えるが。

（おまけに……私と違って胸も大きいし。この間お風呂一緒に入った時に後ろから揉もうとしたら思い切り殴られたけど……って、何考えてんのよ私。まあ結論から言うと遊希は女子力がないところを除けば完璧美少女、よね……）

　それが綾香が遊希という人間を評価するにあたって出てきた言葉だ。よくよく考えてみると自分はまだ遊希のことをそんなに知らないことに気づく。

（でも、遊希はこの間パパに負けて今日はエヴァちゃんに負けた。負け知らずのあの子がこうも立て続けに負ける……それで心が折れるくらいならプロになんかなれるわけないし……）

　綾香が考えれば考えるほど遊希という人間がわからなくなる。あとで直接竜司に遊希のことについて話を聞きに行くべきだろうか、と悩んでいるうちにニンジンを切り終わった。取り敢えず鍋に放り込んで調理しなければ。今夜のメニューはカレーライスだ。すっかり日本の国民食となりつつあるこの料理を嫌いな者はまずいない。美味しいカレーを作れば遊希もきっと元気になるはずだ。そう思いながら綾香はジャガイモの皮を剥き始めた。　
　そうして綾香がカレーライスを作り終わるころ、遊希が風呂から出てきたので交替で綾香が風呂に入った。シャワーの時も風呂の時も髪を乾かす時もずっと竜司の言葉について考えていたため、いつもより少し長めの風呂になってしまっていた。綾香が風呂からあがると二人分の食事の準備を済ませた遊希が座って綾香が出てくるのを待っていた。

「あら、先に食べててもよかったのに」
「……私がそんな千夏みたいな真似するわけないでしょ」

　いないところでいちいち貶される千夏は今頃クシャミが止まらないんだろうな、と思い綾香は苦笑いしながら台所に自分の分のカレーを取りに行った。

「ねえ、遊希。 この芸人面白くない？」

　カレーを食べながらテレビのバラエティ番組を見る二人。いつもなら綾香と千夏がテレビ番組でネタをする芸人で笑い、詩織がネタの面白さを理解できずに首をかしげる傍ら、遊希は「何が面白いの、夏には消えてるわよそんな若手芸人」と毒を吐くのが日常の光景。
　スポーツ中継なら贔屓の野球チームが下位に沈み、応援する千夏がしょげている横で遊希がそのチームの弱点を延々と楽しそうに語るのを綾香と詩織が眺めている。それも彼女たちの日常。しかし、今日の遊希はやはりどこか違っていた。

「……そうなのかしら？ まあ、そうなのかもしれないわね」

　正直自分でも面白さがわからない音ネタ芸人のネタに面白いわね、と振ってみると遊希からは期待した答えが返ってこないのである。この瞬間、綾香は間違いなく遊希に何かあった、もしくは何か悩みがあるということに確信する。この時、綾香は少々思い切った作戦を取ることにした。
　夕食を食べ終わった遊希は自分の分の食器を片付けると、すぐに寝る準備を始めた。元々遊希はやることがない時はさっさと寝てしまうなど早寝な方ではあるが、寝る前に少しは綾香たちと何か会話はする。だが、今日は疲れているとはいえ、それすらせずに布団に潜り込んでしまったのだ。今日この部屋にいるのは遊希と綾香の二人だけ。なので今日の出来事を知っているのも必然的に遊希と綾香の二人だけ。

「ねえ遊希」
「……何？」
「今日さぁ、一緒に寝ない？」

　綾香がそう言うと、遊希は布団を被ったまま「狭いから嫌よ」と突っぱねる。しかし、綾香はここで食い下がらず、無理やり布団を引っぺがそうとした。

「ほらほら良いじゃない、女の子同士なんだからさぁ！」
「ちょっ、いい加減にしなさいよ……親しき仲にも礼儀あり、って言うでしょう……」
「あら、スキンシップも大事よ！ ほら、観念しなさい！」
「や……やめ……」

　抵抗むなしく布団を剥がされる遊希。そんな遊希に綾香は諭すように優しく話しかけた。

「……見ないで」
「……ごめん、しつこかったかな。でもそんな眼を真っ赤にして泣いてるあんたを見ると……放っておけないのよ」

　布団の中に身を隠していた遊希の眼からは大粒の涙が絶えず流れていた。その影響で目の周りは早くも涙の跡がついている。綾香はさりげなく遊希のベッドに身を乗せると、剥がした布団を被って無言でこっちを見ている遊希と向き合う形で横になった。

「ふふっ、暖かい。でさ、何があったの。私で良ければ話聞くよ？ まあ話したくないなら無理に話さないでいいわ。ただ話せば少しは気が楽になるかもね」

　そう言って綾香が遊希の布団に潜り込んで数十分。二人は無言のままだった。綾香は遊希が話すまでじっと彼女の潤んだを見つめ、遊希は極力綾香と目を合わせないように視線を上下させる。

「あ、あのね……」

　やがて綾香に根負けした遊希が話しだした。涙交じりなので聞き取るのは難しかったが、綾香は必死にそれを自分の中に刻み込む。
　彼女の涙の原因はここ数日の自分の戦績にあった。先日はエヴァの出迎えに関して竜司とデュエルを行い、敗れ、今日はエヴァをあと一歩までのところに追い込みながら逆転負けを許してしまった。戦績で言えばたくさんのデュエルのうちのわずか2敗。しかし、その2敗が彼女の心に大きな傷を残していた。

「前に……私の家族について……話したじゃない……私、今でもずっと思っているの……私がもっと強ければ、あんなことにはならなかったって」

　遊希の家族が命を落とした経緯について知っているのはこの学校では竜司をはじめとした数人の教員と綾香のみである。もしこの涙の理由がただ負けが込んでいるだけ、ということだけだったのならば綾香は「私の方がもっと負けてるから気にしちゃダメ！」と喝を入れる形で励ましていただろう。
　しかし、綾香はその理由を知ってしまっている以上、強く遊希を励ますことが出来なかった。彼女の心に残るのは自責の念。プロを引退して今日この日まで自分をずっと責め続けていた。決して遊希のせいではなく、悪いのは遊希の両親に手をかけた人間である。事情を知った多くの人が彼女を哀れみ、慰めた。
　それでも彼女の心の中には絶えず渦巻いていた後悔。プロ引退後、デュエルから離れていた時は全てを捨て、ひっそりと生きて両親を弔い続けてきた。竜司ら多くの人間に支えられ、デュエルに復帰して以降は勝ち続け、誰よりも強くあることで亡き両親に誓っていた。
　両親への罪悪感、周囲からの期待、敗北への恐怖。今まではそれを必死で抑え込むことが出来ていた。だが、少女の心には限度が来ており、それが今日、崩れ落ちたのだ。

「みんな……私に期待してくれている……私は元プロデュエリスト……それにふさわしくなきゃいけないのに……」
「うん」
「……私は……強くなきゃいけないの……強くないと……みんなを悲しませちゃうから……お父さんと……お母さんと……妹のためにも……それ……なのに……！！」

　今まで必死に堪えながら言葉を発し続けてきた遊希だったが、家族のことを口にした途端、抑え続けてきた感情が涙となって堰を切った。そこにはいつもクールで美しい天都 遊希というデュエリストの姿はない。顔を真っ赤にして泣きじゃくる1人の少女がいるだけであった。

「……ねえ、遊希」
「何……あや」

　遊希の独白を全て聞き届けた綾香は遊希が答える間もなく、遊希をぎゅっ、と強く抱きしめた。遊希の顔が綾香に胸に埋まるような形になる。

「遊希。もしさ……また辛いこととかあったりしたら自分でため込んじゃダメよ？ ここには千夏もいれば詩織もいる。パパだっているしエヴァちゃんだって同じプロなんだからあんたの悩みや苦しみを理解してくれるはずよ。それに、私もいる。だから……辛いときはもっと頼ってよね？」

　綾香がそう言うが、遊希は答えなかった。それと同時に綾香の胸の辺りがじわりと熱くなるのを感じた。遊希は声を押し殺してまた泣き始めていた。綾香は何も言わずそんな遊希の頭を優しく撫で続けてあげた。



＊



「寝ちゃったか……まあ今日は色々と大変だったもんね」

　何十分か経った後、小さな寝息を立てて眠る遊希の頭を綾香はまるで子供をあやすように撫で続けていた。

（……さっきのパパからのメッセージ……今ならわかる気がするなぁ）

―――彼女はとても強く凛々しいが、それと同時にとても繊細でか弱い子だから。

（パパの言う通りだったわ。外面は美人でクールでカッコいいけど、本当は脆くて弱くて泣き虫で……それでいて不器用なんだから。本当にいじらしくて可愛い子）

　綾香は自分のベッドに戻ろうとしたが、自分の手を握り、寝言で綾香の名を呼びながら眠る遊希の姿を見ると動くに動けなかった。そうしていつしか綾香も眠りに落ちた。
　その夜、眠りに落ちた綾香を呼ぶ声がした。綾香は寝ぼけながらもその声のことをよく覚えていた。少し低めの男性のような声。その声の正体はわからない。しかし、声の主が何を伝えたいのかははっきりとわかっていた。


―――遊希を助けてくれてありがとう、と。


「……う、ううん……」

　翌日、どこかから漂ってくるいい匂いで目が覚めた綾香。眼をこすりながら横を見るとそこに遊希の姿はなかった。

「おはよう」

　ベッドから出て匂いのする方に向かった綾香を出迎えたのは長い髪を後ろに束ね、エプロンを付けて朝食を作る遊希だった。

「おはよう……ってあんた料理……」
「出来ないなんて一言も言ってないでしょ。4人分作るのが面倒だから嫌だっただけよ」

　遊希の作った味噌汁を試飲すると、味付けから具のバランスの良さまで明らかに自分より上手だった。

「まあ一人暮らし長かったからね。それに自分から作るのは今回限りよ」

　綾香がなんで、と驚いたように尋ねると、遊希は顔を真っ赤にしてもじもじしながら言う。

「……昨日の……お礼がしたかったから」

　そんな遊希に綾香は素直にありがとう、と微笑み返し、彼女を抱きしめた。いつになく慌てながら拒絶する遊希に構わず、自分から離れるまで抱きしめ続けた。
　彼女の苦しみをすべて理解したわけではないし、自分が思う以上に遊希の心には重い影が存在するのかもしれない。それでも、綾香は自分の目の前に立つ愛らしいこの友と共に歩んでいくことを決めた。










『銀河竜を駆る少女』　　第一章　　　完




2016.9/1　遊希と綾香の布団の中でのシーンなど数か所を加筆修正しました。