刹那の純心 久遠の歪心　作：はにわ改

　
ーー透矢は走る。
刹那を『死なせない』ためにも。

こちらに振り向く刹那。
自分を見て、何事かと目を見開く刹那へ一気に迫った透矢は、
そのまま手すりを挟んで、刹那の背中から肩に両手を回して羽交い締めにする。

「よっし、掴まえた！
もう離さんぞ！」

「わっわわ・・・、え、えぇ？
ちょ、ちょっと透矢くん？」

「ーー駄目だ、刹那！
何があったかは知らんが、身投げはアカン！」

「ふえ？
み、身投げ？」

「悩みや辛い事があるんだったら、まず友達や家族に相談しろ！
俺だって力になってやるっ！」

「え、えーと・・・と、透矢、くん？」

「世の中には恵まれない子がたくさんいるんだぞ！
それを考えて、簡単に死を選ぼうとするな！」

「くす・・・」

「両親から貰った命を、あっさり投げ捨てるなんて、親不孝だとは思わんのか！
しかもお前、セレブだろ！
今死んだら、色々ともったいないぞ！」

「あはははっ、あはははは！」

「そうだ、笑え！
笑っちまえば辛い事なんか忘れられる！」

背後から羽交い締めにされ、耳元で『説得』された刹那は、何故か堪えきれなくなるように笑い出す刹那。
そんな刹那を、透矢は必死に抑え込むように腕に力を込め続けている。

「ーー分かった、分かったから落ち着いて、透矢くん」

「お、思い止まってくれたのか・・・？」

「うん。
ていうか身投げなんてしようとしてないし」

「へ？」

間の抜けた表情を浮かべる透矢。

「じゃ、じゃあ何して・・・」

「そこから見えるかな？
あそこにね、鳥の巣があるの」

「鳥の巣？」

そう言われて、刹那の顔の横から下を覗き込むようにすると、確かに校舎の外壁に窪んだ部分があり、そこに僅かに巣のようなものが見え隠れしている。

「ね、見えるでしょ？」

「あ、ああ・・・。
・・・で、お前はそれを見るために、手すりを乗り出してそんなところに？」

「ふふ、鳥が入ってくのが見えたから、ちょっと気になっちゃって」

「何だよ・・・俺はてっきりーー」

「くす・・・身投げすると思っちゃった？
でも後ろから私の姿見れば、そう見えるよね」

「ま、何にしても無事で良かったよ・・・」

「その・・・だからさ？
そろそろ離してくれないかな？
さすがの私もちょっと恥ずかしいかな、って」

「あ、あわわ！
わ、悪い！」

「くすくす・・・別に謝らなくて良いのに」

ずっと羽交い締めに、言ってしまえば背中から抱き締めている形となった二人。
透矢はバネで弾かれるように慌てて刹那から離れ、
そんな透矢を見て刹那が微笑む。

「ーーでも、透矢くんはどうしてここに？
こんな時間に・・・まだ帰らないの？」

「せ、刹那を探しにきたんだよ。
地影も真希も、今みんなで探してる」

「そっか・・・そういえば今日、集まりがあったわね。
ふふ、うっかりしちゃった」

どうやら生徒会の職務を失念していたらしい刹那。
手すりを軽やかに乗り越えると、ようやく透矢と同じ地に立った。

「ふふ、透矢くんったら、いきなり情熱的に抱き締めてくるから、何だと思ったわ」

「いや、だからそれはさ・・・」

「そのまま愛の告白とかされてたら・・・落ちてた、かも？」

「するか！」

「あははははっ！
冗談よ、冗談」

「ったく・・・姉妹揃って悪戯好きな奴だな」

「あっ・・・」

透矢をからかう刹那。
だがその透矢の言葉を聞いて、顔色に陰りが帯びる。
その表情の変化には透矢も気にせずにはいられなかった。

「私・・・嫌な女、かな」

「いや、そういう意味じゃなくてさ」

「・・・」

悲しげに目を反らす刹那。
いつもとは違う、余裕のない刹那の姿。
透矢は長年彼女を見てきたわけではないが、その姿から刹那のか弱い部分を見た気がした。

「刹那、どうした？
何かあったのか？」

「ーーううん、別に」

「だったら１人でこんなところで何やってたんだ？
生徒会の仕事を忘れるなんて、完璧人間の刹那らしくないぜ？」

「私は・・・完璧なんかじゃないよ」

見える姿もそうだが、言葉も弱気な刹那。
どうやら何かあったのは確からしい、と思った透矢は刹那に近付く。

「何かあったんなら、話してみろよ。
相手が俺じゃ不満かもしれないけどな」

「・・・くす。
ありがとう、透矢くん。
こんな私に優しくしてくれるんだ」

「おいおい、重症だな。
どうした？
誰かにいじめられたか？
ーーって、刹那がいじめられるわけないか・・・」

弱々しい刹那の態度がますます気になる透矢。
ただ心中ではあまり踏み込むのも良くないか、と迷ってもいた。

「ーーううん、大丈夫。
ちょっと、疲れてただけだからーー」

「疲れ？」

「うん。
だから気分転換！
たまにこうして屋上に風に当たりに来てるの」

疲れていた、と話す刹那。

ーーなるほど、疲れているなら元気ないのも当然か。

透矢は素直に納得した。

「さて、生徒会室にいかないと！
地影に怒られちゃうかな」

表情が急に明るくなり、弾ませるような声を出しながら、透矢の横を通りすぎる刹那。

「ごめんね、透矢くん。
わざわざ探してもらっちゃって」

「いや、それはいいんだけどーー大丈夫か？」

「うん・・・大丈夫。
ありがとう、透矢くん」

目を細めつつ、顔を反らした刹那が透矢を残して、先に屋上から出ていこうと入り口に向かう。

「なぁ、刹那。
１つ・・・聞いて良いか？」

「あら、なあに？透矢くん」

そんな刹那を呼び止めた透矢。
刹那は背中を向けたまま足を止める。

「気を悪くしたらごめんな」

「ん？」

「久遠の事、なんだけどさ」

「久遠？」

「ひょっとしてお前たち、上手くいってないのか？」

まさかの質問に、刹那は驚かされる。
何故透矢がそんな事を聞くのか。
何故そんな事を聞くに至ったのか。

刹那は心のなかで大いに動揺し、僅かに身体を震わせたまま動くことが出来なかった。





ーーその頃。
真希も校舎内を刹那を探して走り回っていた。

「ーーったく、刹那ったら、どこ行ったのよ・・・」

一向に見付からない刹那に毒づく真希。
少し休憩、と壁に背中を寄りかからせた。

ーーそんな時。
彼女の携帯が着信を知らせてくれる。
こんな時に誰だろう、と携帯電話を取り出してみると、掛けてきたのは久遠。
久遠も一緒に探してくれてるという話だから、ひょっとしたら刹那を見つけてくれたか？
真希はそんな期待を胸に着信を取った。

「もしもし、久遠？」

『あ、真希っ！？
た、大変なのっ！』

「ど、どうしたのよ、そんな慌ててーー」

電話口から聞こえてきたのは、酷く慌てた様子の久遠の声。
ただ事でないことを察した真希の脳裏に緊張が走る。

『今、私、表キャンバスにいるんだけど、お姉さまを見つけたのっ！』

「刹那を？
何処にいたの？」

『屋上よ！
お姉さまったら、手すりを乗り越えて、何か下向いてるの・・・っ！
なんか、今にも飛び下りそう・・・っ！』

「えぇっ？！
刹那がっ？！」

心配する久遠の声が伝わり、真希の心中がざわめく。
情景は想像するしかないが、手すりを乗り越えているという事は、踏み外せば真っ逆さまの地に降り立っているということか。
刹那がそんな事をしている、ということを想像し、真希は思わず青ざめた。

「ちょ、ちょっと！
それってどういうことよっ！
まさか刹那がじさーー」

言い掛けて、真希の言葉が詰まる。

あの刹那が？

何事もそつなくこなし、同じ女として嫉妬を覚える程の、あらゆる美徳を兼ね備えた刹那がーー？

まさか命を自ら絶つ、とでも言うのだろうか？

『わ、分からないけど、とにかく私も今、向かってるから真希も急いで！
透矢くんにも伝えといたから！』

「わ、分かった！」

『お願いね！』

それだけ伝えて電話は打ち切られた。
刹那を探していて何という事態か。
あの刹那がーー。

「せ、刹那ーーっ！」

真希は一瞬、透矢と連絡を取ろうとも考えたが、それよりも先ず現場に駆けつけようと思い直した。
久遠の話を聞く限り、事は一刻を争う。
ならば電話などして、互いの向かうスピードを下げたりなどしたら、致命的な遅延を生みかねない。

真希は全速で屋上へ向けて足を駆け出させた。





「ーーふふふ、さぁてどうなるかしら」

ーー屋上へ続く階段の前で身を潜めるようにしていた久遠。
真希への『電話』を終えた彼女は不吉に笑った。
電話口で真希が感じた深刻さは微塵も感じられない。

「楽しみ、ね・・・くすくすくすくすくすくすくす・・・！」

ーー不気味な笑い声が響く中で、突如、鈍い金属音が鳴り響く。
久遠が手に握っていた携帯電話。
それが彼女の手によって、ひしゃげ、潰れていた。

「あら・・・壊れてしまったわ。
この程度で壊れるなんて、脆いガラクタね。

ーーまぁいいか。
壊れたら、新しいのを買えばいいんですもの」

久遠は壊れた携帯を、側にあったくずかごに放り込むと、そのまま静かに歩き去っていった。
その間も不気味な笑いは響き続けていた。