透矢とエリザ そして刹那　作：はにわ改

　
ーーその頃、透矢は休憩室に訪れて紙コップに注いだ無料のコーヒーを口に含みながら、備え付けのソファーに深く腰を下ろしていた。

時は夜。
もう床に就く事も考えていい頃合いであるが、透矢の場合は今まで寝ていて目覚めたばかりだから、事情が少し違う。

起きて今までにない頭の重さを感じた彼は寝直す事も出来ず、
たまらず布団から這い出してふらふらとこの場所へ赴いた。
そこにいた先客、地影と少し言葉を交わしたものの、内容は覚えていない。

「ーーったく、何なんだよこりゃあ……」

頭を押さえたまま天を仰ぐ透矢。
普段だったら入れるはずの砂糖もミルクも無しに口に含んだ、コーヒーの強い苦味を今は心地よく感じていた。

何も考えられない、考えたくもない今のコンディション。
透矢はそのままじっと動かずに耐え、早くこの状態が改善してくれること祈っていた。

「ーートーヤ？」

ところがそこへ、彼の名を呼ぶ者が現れる。
聞き覚えある独特のイントネーションに、透矢は閉じていた目を開きながら正面を見る。

「こんばんは、トーヤ。
ホテルで逢うなんて奇遇ですわね」

「エリ、ザ……？」

座る透矢に対して、視線の高さを合わせようと腰を折ると、その長い金髪が揺れる。
藍と橙のオッドアイにじっと見つめられながらも、透矢は確かめるようにその名前を口にした。

「どうなさったの？
何か酷く調子が宜しくないようですわね？」

「いや、別になんでもないよ。
ちょっと寝起きで頭がボケてるだけだからさ」

「ふぅん？」

「それよりエリザはどーした？
確かにホテルでこうして逢ったのは初めてだよな」

「くす……今日は色々とありましたもの。
ちょっと気が昂っていて、中々寝付けないの。
だからこうしてお散歩に繰り出していましたのよ」

「へぇ、何かあったのか？」

重い頭でエリザの声を訊き、何気なくそう聞き返す。
するとエリザは透矢の左隣に腰を下ろし、横から顔を近づけた。

「ーーねぇ、トーヤ？
ちょっとそこのバルコニーにでてみませんこと？」

「え？」

「頭が重いんでしょう？
夜の冷めた空気に触れれば、血が引いて楽になりますわ」

「いや、俺は別にーー」

あまり動きたくない、と難色を示した透矢だったが、
エリザに半ば付き合わされる形で二人はバルコニーへと身を乗り出した。

「おっ、確かにエリザの言う通りだな！
風がいい感じで涼しくて、気持ちいいじゃん！」

「でしょう？」

昼間はこの場所でティータイムも楽しめるのだろうか、テーブルと椅子の組み合わせが二台用意されている。
だがこの時間は人の姿はなく、透矢は気兼ねなく身体を伸ばしながら、気持ちをリラックスさせる。

「ねぇ、トーヤ？
今日は大変でしたわね？」

「へ？
『でしたわね』、って別に俺は何にもしてないぜ？
刹那たちのデュエルを後ろから応援してただけだし」

「あら、そうでしたの？

でもトーヤにとって、デュエル出来なかったのは残念でしたわね？」

「へへ、分かるか？
こんなでっけぇ舞台でデュエルなんてそうあることじゃないからな。

ま、でもそれは皆おんなじだし、公平に、な」

透矢とエリザが笑い合う。

「そういえば……今日のデュエル、どんな内容だったかしら」

「なんだよ、もう忘れちまったのか？
今日も日本校は３連勝！
前の日の俺たちに続いて６連勝だな！
流れは最高潮って感じだぜ」

「くす……そうね」

相槌を打つエリザ。
だがふと透矢の笑顔がゆっくりと冷めていき、何かを考えるように眉間にしわを寄せる。

「ーーどうかしたの？」

「いや、その……今、エリザに言われて今日の事、思い返してたんだけど」

「うん？」

「デュエルの内容が……全然、思い出せなくてさ」

「嫌だ、トーヤったら。
意外と忘れっぽいところがあるのかしら？」

「いや、いくらなんでも、昼間見たデュエルを忘れるはずはーー。

うーん……？

あれ、何でだ？
全然思い出せねぇ」

頭を小突いて思い出そうと唸るが、まるで思い出せないようだ。
そんな背中をじっと見つめているエリザ。
するとふと彼女の視線がその首筋を捉えると、唇をなぞるように舌の先が歯を滑らせる。

「ちくしょう……何で何も思い出せないんだ？
そもそもさっきだって、気が付いたらベッドで寝てるしーーひぃっ！？」

独り言を口ずさむ透矢が不意に首筋に感じた冷たい感触に、思わず女のような悲鳴を上げてしまう。

それは正にーー氷。
冷えきった人肌に残る僅かな体温すら感じさせない、異様な感触。
自らの首筋を包み込むように両手で掴まれた透矢は、反射的に振り払う事も出来ずにいた。

「（え、エリザなのか？
な、なんでこんな冷たーー）」

初めて逢った時、何者かに襲われていた自分を連れて助けてくれたエリザ。
その時握った手は、人の温かさがあったはずである。

それとも今、自分の首に触れるこの手はエリザの手ではないのか。

「くす……温かい。

貴方の温かい血の脈動を……

とくん、とくん……ってこの指で感じているわ」

「お、おい、な、何言ってんだよ」

耳元で囁くような声。
それは正しくエリザ。
やはりこの冷たい手はエリザのものなのだ。

するとその右の人差し指と中指が、透矢の太い動脈を優しく挟み込む。
細く固い肌触りを透矢も感じ取る。

「お、おい！
いたずらはそのぐらいにーー」

奇行とも言えるエリザの振る舞いに、たまらず透矢が首を後ろに曲げて抗議しようとした。
だがそこにあったエリザの顔に戦慄する。

オッドアイだったはずの瞳は赤く濁り、しかも獣のように筋が縦に一本貫いているのだ。
そしてもっとも恐ろしいのは、その薄紅の唇から下に向かって異様な長さに伸びた上の犬歯。
その先は刃物のように鋭く尖って透矢の目に映った。

「くす……。
どんな味がするのかしら」

「え、エリザ！
何をするつもりだっ？！」

ただならぬ雰囲気に透矢はエリザを振り払おうとするが、両肩を掴む手がそれを許さない。
エリザの異様な腕力に、透矢は完全にその身を抑え込まれていたのだ。

そうしている内に、エリザはその唇を透矢の首筋に接触させる。
ーー直後。
首筋に刺すような痛みが走った。

「ーーってぇっ！」

思わず声を発する。
エリザの犬歯が透矢の皮膚に食い込んだ。

「ーーエリザっ！！」

だが間一髪、というべきか。
二人の背後から声が鋭く耳を震わし、エリザのその行為を制止させる。

「何、してるの……エリザ！」

「その声は……セツナ、ですわね」

声色からその主を見抜くエリザ。
食い込んだ犬歯を引き抜くと、エリザはすぐに透矢から離れた。

そして強く睨み付ける刹那に、エリザは唇を小さく舌でなぞりながら、余裕の笑みを見せる。

「おい、エリザ！
お前、今、何しようとしてたんだっ？！
まさか、お前の国じゃあこういう事を日常でしたりすんのかっ？」

「透矢くん！」

首筋を押さえながら振り返った透矢に、刹那が駆け寄る。

「お、おう、刹那。
お前もどうした、こんな時間にーー」

「いいから、ちょっと見せて」

刹那が透矢の首筋に手を触れながら食い入るように見る。

「……良かった、何ともないみたい」

「んだよ、刹那。
別に何ともねぇって」

安堵の表情を浮かべる刹那を、大袈裟な反応と受けとる透矢。
それは何も知らない彼だから、仕方のない反応なのだろう。

「ーーくす、セツナ？
そんなに心配なさらなくても大丈夫です。

でも……貴女の珍しい表情が見れて、貴重な体験をさせて頂きましたわ」

「エリザ……っ！」

「それでは私はお邪魔ですので退散頂きます。
ごきげんよう、セツナ、トーヤ」

「なんだよ、お邪魔って」

先んじて帰ろうと、足を返すエリザ。
睨む刹那の視線を受けながら、ふと何かを思い出したように手を遇わせながら、再び二人の方へ向き直った。

「あ、そうそう、トーヤ。

頭、すっきりしたんじゃありませんこと？」

「あー……言われてみれば。
風に当たったのが良かったのかな？」

「くす……頭痛は、血の巡りが悪いと起こる、と何かで読んだことがありますの。
肩こりと似たようなものですわ」

「そうなんだ。
ま、何にしてもサンキューな、エリザ」

「いいえ、また頭や肩がおかしくなったらお声を掛けて？
すぐに楽にして差し上げますから」

含んだように笑うエリザ。
さっきは赤く染まった瞳が、今はいつものオッドアイに戻っていた。

「早く行って、エリザ」

「おい、刹那。
そんな言い方しなくたって……」

「くす、はぁい」

冷ややかな声の刹那。
透矢がそんな刹那を諭すが、言われたエリザは特に気にした様子もなく、そのままこの場を後にしたのだった。

「ふぅ……。

ーー透矢くん、大丈夫？」

「いや、だから大丈夫だって。
どうしたんだよ、刹那？
気にしてくれんのはありがたいけど、ちょっと過剰じゃねぇか？」

「ご、ごめんなさい……」

また手を伸ばしてくる刹那の手から、思わず後ろに身を引いて避けてしまう透矢。
気を落としたような刹那に、『らしくない』ものを感じてか、透矢は少し困ったような表情を浮かべた。

「そ、そういえばさ！
今日は刹那も大活躍だったな！」

「え？」

「ほら、あのアラスカ・アカデミア相手に水花、炎魅子先輩と並んで３連勝だろ？
俺たち、すげぇ調子いいじゃんか！」

「う、うん……そうだね。
前のイギリス・アカデミアの時は透矢くんも頑張ってくれたもの。
私も負けていられないからね」

「ははは！
この調子で、優勝狙ってやろうぜ！」

平手を差し出した透矢に、刹那はやや遠慮がちに叩いて応える。
真希とよくやるハイタッチだが、刹那とはこれが初めてである。

「でも……おっかしいんだよなー」

「なに？」

「こんな事言ったら怒られるかもしんねぇけど、
今日のデュエルの内容を全然思い出せないんだ」

「……」

『刹那の勝ち』を賞賛しながら、その内容を思い出せないと正直に語る透矢。
刹那は彼の申し訳なさそうな表情に、内心心を痛める。

「そりゃ俺って頭はそんなに良くねぇけどさ。
デュエルの事なら、覚えられる自信があったんだよなー」

「……」

「こんなの初めてだぜ。
だって、このターンでこういうカードを発動したとか、そういうのを忘れる事はあってもよ、
デュエルの内容、丸ごと思い出せないんだもんなー」

「……」

「刹那……？

やっぱ……怒ってんのか？」

何も語らない刹那に、不安そうに訊く透矢。

「本当に……本当に、覚えてないの？
『今日の事を』ーー？」

「ん？
あ、ああ……。
お前が勝った、ってのは覚えてるんだけどさ」

「本当に？
何も思い出せないの？

『今日の事』……。
透矢くんが私にしてくれた事を」

「へ？
俺、刹那に何か特別なことしたっけ？」

唇を意味ありげに指で触りながら訊いてくる刹那。
それに混乱したように戸惑いを見せる透矢。

すぐに刹那は我に返る。
自分は何を言ってるのか、と。

『ある処置』を施した透矢や真希たちを『サポート』するのは、自分に与えられた義務。

刹那は唇を噛み、己の心を押し殺した。

「だ、大丈夫。
きっと慣れない土地での暮らしで、透矢くんも疲れてるだけ。
すぐに……元通りになるわ」

「そ、そうかな」

「うん。
だから……はやく休んだ方がいいわ。
大事な、身体なんだから」

「うん……そうだな」

真希に言ったことと同じような事で透矢を納得させる。
その後、刹那は透矢が部屋に戻るまでを見届けてから、疲れたように息をついた。
そして仲間たちの事を改めて思い、その胸を痛めてもいた。