千鶴のお願い　作：はにわ改

　
「ーーあら、鳴瀬さん」

「こ、こんにちは・・・」

いつものように地影が来客を出迎えると、扉の向こうに立っていたのは千鶴であった。

ーー噂をすれば影がさす。

地影はそんなことを思ったりもした。

「今日はどうしたんですか？」

「は、はい・・・あの、か、神楽坂会長さんにお願いがーー」

「刹那さんに？」

相変わらずの小声に滑舌の悪さ、更に何かに遠慮するような千鶴の喋り方。
地影は特に気にしたりはしないが、堂々と話すことが出来ない千鶴のこの性格が災いしてか、彼女に友達と呼べる存在は多くない。

「ーー入ってもらって、地影」

「刹那さんーー。
・・・分かりました。
どうぞ」

「し、失礼、します・・・」

扉と地影の隙間から来訪者の姿を確認した刹那が声を掛ける。
本来は地影がまず用事を聞き、必要ないと判断すれば生徒は門前で帰し、内容を刹那に伝えるだけだ。
こうして刹那自ら、中へ通すように言う事は少ない。
ともあれ地影は中へ入るよう促し、千鶴はおぼつかない足取りで入室を果たしたのだった。

「よぉ、鳴瀬！元気でやってっか？」

「は、はい！げ、元気です」

「かははっ、そう緊張すんなって。
少しは身体の力抜けよ。
でないと、地影みたいに固い女になっちまうぜ？」

「炎魅子さんこそ、鳴瀬さんを見習って、少しはおしとやかになった方がいいのでは？」

「ま、せっかく来てくれたんだ。
ゆっくりしてきなよ」

まず炎魅子が側に寄り添うにして、千鶴に声を掛けてやる。
千鶴は生徒会のメンバーとこうして話すのは初めてではないが、人見知りが激しい性格のせいか、まだ固さは残っているようだ。
炎魅子はそんな事情を知ってか知らずか、肩を叩いたり、頭を撫でたりと彼女なりの方法で千鶴の緊張を緩めてやろうとする。
だが本人は恥ずかしそうに俯いてしまうのだった。

「ーーこんにちは、鳴瀬さん。
最近の調子はどう？」

「は、はい・・・その、お、おかげさまで、楽しい毎日、です・・・」

「ふふ、今ちょうどあなたの話をしていたところなの」

「わ、私の・・・？」

「まぁそれはいいの。
それで、どんなご用事かしら」

デスクの前まで来た千鶴を、水花を抱えたまま笑顔で迎える刹那。
来訪者を優しく包み込むような刹那のスマイルは、見た者が女神の微笑みと口々にするほど、他の者にはない柔らかさがある。

「そ、その・・・神楽坂会長にお願いが・・・」

「あら、なあに？
鳴瀬さんからのお願いはこれで２回目ね」

「あ・・・、お、お忙しいのに、ご、ごめんなさい」

「謝らないで。
生徒に頼りにされるなら、生徒会長冥利に尽きるわ。
私に出来る事なら何でも言ってちょうだい」

刹那の言うように千鶴のお願いはこれが二度目。
千鶴もそれは知っていて深々と頭を下げる。
もちろん、刹那も咎めようと思って言ったわけではない。

しかし千鶴は話しにくいのか、中々切り出してはくれない。
するとそんな千鶴を後ろから支えてくれる地影。

「落ち着いて・・・ゆっくりで、いいですから」

「は、はい・・・すいません」

地影の優しい口調に、千鶴は小さく笑顔を見せると、一度深呼吸する。
やがて意を決すると、己の決断を切り出した。

「じ、実は・・・わ、私に、にゅ、入学試験を、やり直しさせてほしいんです！」

「入学試験を・・・やり直し？」

躊躇するからには、どんな内容かと身構えていた刹那だったが、
千鶴が告げたそれは彼女の予想の範疇の外であった。
地影と炎魅子も驚き、互いに顔を見合わせる。

「・・・どういうこと？鳴瀬さん。
入学試験のやり直し、ってーー」

「だから、その・・・私、お姉ちゃんのお陰で、ここに、いられるわけで・・・そのーー」

「焦らないでいいわ、ゆっくり話してみて」

しどろもどろになりかけた千鶴をそう諭して、ゆっくり言わんとする事を理解していく。


「ーーなるほど、鳴瀬さんの気持ちはよく分かったわ」

入学試験を受け直したい、という千鶴の意志。
その意味を知るには、千鶴がこのアカデミアに入学した経緯を知らなくてはならない。

彼女の気弱い性格はデュエルにも表れていて、いつも本来の力を出し切れずにいた。
普段でもそうだというのに、入学試験の教諭試験では更に緊張が重なって、散々な結果に終わる。
すなわち本来なら千鶴は落ちていたはずなのだが、千鶴の幼馴染みにして生徒会メンバーでもある真希が、刹那に頼み込み、千鶴を合格させたのだった。
その代償として真希はデュエル・キラーなどという、闇討ちによって問題児を退学に追い込む役割を担わされたのだが、ただこれは真希本人も納得した上での事である。

しかし最近になってその真実が千鶴にも知る事となり、千鶴は表面には出さねど悩んでいた。

「つまりもう一度正式に実技試験を行いたいということね？」

「は、はい・・・それで、改めて合否の判定をして頂ければ、とーー」

「ふむ・・・仮にその判定で、落ちたらーー鳴瀬さんはどうするつもりなの？」

「・・・辞めます、このアカデミアをーー」

「な、鳴瀬さんっ！？」

刹那が千鶴の意志を確認する過程で、彼女の意志が単なる酔狂でないことが分かる。
自らの首を賭けて実技再試験を受けたいーーその言葉に、冷静な地影が声をあげる。

「ちょ、ちょいとお待ちよ、鳴瀬！
あんた、その事は真希や透矢にはーー？」

「ま、まだ・・・言ってません」

「だ、駄目だよ、そんなの！
もし、もしだよ？
あんたが本当に辞めるなんて事になったら、真希の行動が無駄になっちまうじゃないか！」

「・・・」

炎魅子が取り乱したように声を浴びせると、千鶴は俯いてしまう。

「止めて、炎魅子。
鳴瀬さんだって、それくらい承知の上でここに来ているはずよ」

「で、でもさ、刹那・・・！」

「それにそんな事を真希に話して、真希がそれに賛成すると思う？」

「そ、それは・・・」

「そうでしょ？
だから鳴瀬さんはこうして１人で、私のところに来たの。
そんな鳴瀬さんの気持ち、覚悟を私たちも最大限に受け止めてあげないと」

刹那の言葉を受けて炎魅子は黙ってしまう。
その間、千鶴はただ申し訳なさそうに俯いているだけだった。

「ーーごめんなさい、鳴瀬さん。
あなたにそんな思いをさせてしまっているのは、私にも責任があるわ。
私の事、恨んでる？」

「そ、そんな、会長さんは尊敬していますし・・・その、むしろ感謝、しているぐらいでーー」

「ありがとう、鳴瀬さん。
でもね、あの件では確かに私が口添えしたけど、
学力試験に関してはむしろ優秀な成績を修めていたのよ」

「ーーそうですね、入学してからも鳴瀬さんの学業成績はかなり上位ですからね。
実技試験で結果が出せないのが不思議なくらいです」

このアカデミアでは実技試験に配点が多い分、そこで結果が出せないと中々、上には上がれない。
だが刹那や地影はそんな千鶴を出来る、出来ない部分をちゃんと評価してくれていたようだ。

「だからあなたの入学も決して裏口なんかではない。
むしろ、いいデュエリストになれる可能性を持った人を推薦出来た、と私は前向きに解釈していたのだけど」

「そんな・・・」

「もっと自信を持ちなさい。
あなたに足りないのは自分の実力に対する自信よ。
それが持てればきっとあなたも、このアカデミアを代表するデュエリストになれるわ」

水花を下ろし、席を立った刹那が千鶴の側へと立ち、その手を握りながらそう告げると、千鶴は感極まったように涙ぐむ。
炎魅子、地影は敢えて口を挟まず、穏やかな表情でそれを見守っていた。

「ーーそれ、でも、私、やらなくてはいけないんです」

だが千鶴はそれでも己の強い意志にこだわりを見せた。
彼女が再試験を受けたい理由は、自分の中のわだかまりを晴らすだけにあらず。

何よりも真希の、そして透矢のためなのだーー。
兄、姉と慕う大事な二人にも話していない千鶴の思い。
それが今、刹那へと語られるのだった。