神楽坂姉妹の確執　作：はにわ改

　
ーーその日の夜。
これから一週間ほど滞在することになるホテルで、荷物の整理を済ませたクリスは、
１０時を回ろうかという夜に、１人夜の街に繰り出した。
アメリカから来日したばかりの彼女だが、夜の繁華街を迷う事なく歩き、やがて呼び出しを受けたバーに辿り着いた。
そこには彼女を呼び出した人物・クロエが既に席に着いていた。


「ーーまずは再会の乾杯、だな」

「ふふ・・・たった１年、離れていただけでそれはどうかと思うけどーーまぁ、乾杯」

薄暗い室内を淡い照明が染め、ジャズのレコードに耳を傾けながら、カウンターに横並びに座る。
そしてクロエが母国の言葉で促すと、クリスは可笑しそうに頬を緩めながらカクテル・グラスで音を鳴らす。

「ふぅ・・・至福の一時だ」

「ああ。
『不謹慎』、だがな」

グラスを傾けながらクリスは疲れを吐き出すが、クロエが遠い目で語った。

「ーーこの世界は平和すぎる。
我々が知るあの『地獄』が嘘のようだ」

「ーーアメリカでは、色々苦労が多かったと聞いたが？」

「ふ・・・そんな苦労、あの地獄に比べれば苦労の内に入りはしないさ。
むしろ、生徒たちと触れ合う時間が楽しくて仕方がない」

「ははは、お互いに年甲斐もなく、だな」

小さく呟くように話していた二人だが、クロエが初めて声を出して笑った。
二人とも日本人が一目見てそうと分かる異国の顔立ちだから、少なからず注目は引いている。

「ーーいよいよ、だな」

クリスがカクテル・グラスを空けると、そう口にした。

「ああ・・・この世界に身を置いて１０年ーー結果を出せず苦悩したこともあったが・・・やっとだ」

「我々がいない１０年、向こうの連中たちは必死に耐えてくれた。
私たちがそれに報いてやらなければな」

何かを案じるような二人の瞳。
『仮初めの』現実に至福を感じながらも、彼女たちは常に己を奮い立たせてきた。
自らを送り出してくれた者たちのためにーー。

「ーークロエ。
『神子（みこ）』の様子はどうなのだ」

「ーー進展なし、だ。
この数年、手を尽くしてはきたが記憶が戻らないことには、だな」

「ふむ・・・だが、『神子』をこちらの掌中に確保できたのは幸運だったな」

「ああ。
『神子』がこちらにある限り、希望はある。
後は『救世主』たちに全てを託すばかりだーー」

「神楽坂刹那、久遠、アルフレッド・・・そしてーー」

「遊戦名 透矢ーー」

語られる謎に満ちた会話。
だが英語による会話であるため、その意味を聞き取れる者は皆無であり、
不信がられる心配はない。

「クロエ。
その神楽坂姉妹、だがーーあの二人は大丈夫か？」

「さてな・・・こればかりはあの二人が自分たちで解決するよりない」

「刹那にも久遠にも、我々は本当に世話になったからなーー。
何とかしてやりたいが・・・」

「因果な姉妹ーーだな」

頷く二人。

ーーそれからも二人は、閉店の時間の直前まで酒を酌み交わしあった。
終わりが近付く一時の至福。
それを噛み締めるようにーー。









ーーその頃の神楽坂邸では、クリスやクロエが正に案じた通り、姉妹の仲に亀裂が走ろうとしていた。

「ーー久遠。
ちゃんとお姉さんの顔見て、聞かれた事に答えなさい」

居間。
テーブルを挟み、向かい合ってソファーに腰をかける双子の姉妹。
刹那は背筋を伸ばした姿勢で久遠と合いするが、久遠は面倒くさそうに背中を後ろにもたれさせている。

「ーーもういいじゃない、お姉さま。
勝手な事をしてごめんなさい、ってさっきからこうして謝ってるんだから」

１度、身体を起こした久遠が、わざとらしい仕草で頭を下げる。
ただ、何について謝っているかは分からないが、明らかに反省の念は込められていない。

「久遠、私はあなたに謝れとは言ってないわ。
どうしてあんな事したのか、その理由を訊いてるの」

「あんな事って？」

「ーー惚けないで！」

刹那が思わず机を叩いた。
陰ながら見守る待女たちが普段まず見ることのない、感情を剥き出しにした刹那に少なからず驚いているようだ。
対して久遠は全く動じていない。

「私とフレッドを騙して映画館に呼び出してーー、呼び出したあなたが透矢くんと一緒にいるなんてーーっ！」

「あーら、嫉妬してるの？お姉さま」

「久遠っ！」

「やだ、もうお姉さまったら、こんな時間に大声だしたりして・・・。
御近所様に御迷惑ですわよ？」

どうやら刹那は今日の一件に関する、久遠の行動について咎めているようだ。
だが久遠は怒る刹那の神経を逆撫でするような言動を繰り返す。
しかしその挑発に乗っては、ペースを久遠に握られてしまう、と思い直した刹那は、
待女の１人が入れてくれた紅茶を口にして、気分を落ち着かせる。

「ーー久遠。
別に私はあなたが誰と、何処に出掛けようと、とやかく口を挟むつもりはないの」

「あら、だったらいいじゃない」

「でも、どうして私やフレッドを騙す必要があったの！」

今日、久遠に呼び出された刹那とアルフレッド。
ところがいざ現地に赴いてみれば久遠はおらず、その久遠は透矢と会っていた。
その一点のみだけでも、刹那が怒るのは充分な理由といえる。

「もうフレッドったら、折角私が気を利かせて、お姉さまとデートする機会を作ってあげたのに、甲斐性なしなんだから・・・」

「な、何言ってるの、久遠！
あなた、フレッドの事をーー」

「勘違いしないで、お姉さま。
私はいつまでも、自分を無視する男に惹かれたりなんかしない。
まして、『誰かに譲ってもらう』ような相手なんて真っ平よ」

「く・・・久遠ーー」

「それに、お姉さまだって満更じゃないんでしょ？
フレッドに迫られてーー」

「いい加減にして、久遠。
私たちは色恋沙汰にうつつを抜かしている場合ではないのだから」

「くすくすっ！
前に透矢くんとデートしといて、説得力ありませんわよ、お姉さま」

「あ、あれはーー」

「それとも何？
デートしたのは透矢くんを色仕掛けで、懐柔するためかしら？」

「ち、違うわっ！」

久遠の言動に徐々に、自分のペースを乱されていく刹那。
久遠は勢いづくように、背に預けていた姿勢が前に出始める。

「それにしてもお姉さまも物好きですわね。
フレッドよりもあんな冴えない彼がいいだなんて」

「・・・透矢くんはあなたが思っている以上に出来る男よ」

「買いかぶりですわ。
それを分からせてあげるために、シェリルと戦わせたのにーー」

「あのデュエルも仕組まれてたの・・・？」

「クリス先生の性格を考えれば、ああいう展開になるのは簡単に想像がつきますわ。
ま、お姉さまが現れるかどうかは五分五分、でしたけど」

「久遠・・・あなたって子は！」

「ま、概ね計画通り進んで満足でしたわ。
後は透矢くんがお姉さまが見てる前で無様に負けて下されば、最高でしたのに」

「どうしてーー？」

「お姉さまを目を覚まさせるために。
本当に『世界』が必要としているのはフレッドだと言うことをーー」

「違うわ！
必要としているのは、個人の力じゃない！
私たちが力を合わせる事で、『世界』が求める力に成り得るはずよ！」

そこまで話して、久遠は小馬鹿にするような表情で肩を竦めると、不意に立ち上がった。

「ーーねぇ、お姉さま。
種明かしも済んだ事ですし、もういいかしら？
私、眠いですの」

「話はまだ終わってないわ！」

「お姉さまもいい加減、素直になってフレッドと宜しくやったら如何？
私は透矢くんで、『我慢』してあげますから。
ーーくすくす、彼ってからかい甲斐がありそうですし、ね・・・これからが楽しみ、ですわ」

引き留める刹那の言葉を待たずに、そんな事を嘯きながら、自分の部屋に帰ろうとする久遠。
だがその言葉を聞いた刹那は今までにない怒りを心に燃やし、去り行く久遠の肩を掴む。
そして無理矢理に自分の方へ振り返らせーー。

ーー室内に響き渡る乾いた音。
陰で見ていた待女たちが、思わず両手で顔を伏せる。

倒れる久遠。
すぐに叩かれた頬が痺れるような痛みを発し、放心したような表情で手で患部を押さえる。

「久遠・・・っ！
どうしてーーどうして、『そうなって』しまったの？！」

「お姉さまが・・・私を、叩いた。
しかも顔をーー！」

「どうしてなの、久遠！
昔のあなたはそんな子じゃなかった！
それなのにーー私のどこに、不満があるのっ？！」

叩いた手。
その手をまるで激痛に耐えるように抑える刹那。
目元に溢れるものを滲ませながら、心中を蝕んでいた長年の『疑問』を久遠にぶつける。
すると久遠は叩かれたにも関わらず、醜悪な笑みを見せながら立ち上がり、姉と相対する。

「何で、ですって？！
はっ！
お姉さまには一生分かりませんわ！」

「久遠！」

「みんな、お姉さま、お姉さま！
何でお姉さまは日本で独り立ちさせてもらえて、私は両親の監視下に置かれなくてはいけませんの？！」

「な、何を言うの！」

「みんなそう。
期待されてるのはお姉さまばかり！
私にだってお姉さまに負けない能力も自信もあるのにっ！」

「く、久遠・・・」

「フレッドだって、お姉さましか見ようとしない！
どうして近くにいる私より、離れて暮らすお姉さまばかり！」

「久遠、それはーー」

「『混沌天使（カオス・エンゼル）』のデッキもーー本当なら、私が・・・私が受け継ぐはずだったのに！」

「久遠・・・もう、止めて」

久遠の叫びを聞いて、徐々に言葉を失わせていく刹那。
悲しげに顔を伏せる。

「でもいいですわ、みんなが私を認めないなら、私が認めさせてやる！
そして今までお姉さまが手に入れてきたもの全てを、私が奪ってやりますわ！」

「・・・」

「欲しいと思ったものを横取りされる痛み、悲しみをお姉さまも味わうが良いわ！
あははははっ、あはははは！」

「く・・・おん」

実の妹による容赦ない蔑み、そして真実の声。
刹那はナイフで切り刻まれるかのような痛みを心に深く感じ、それが消えぬ痕として残る。

そして久遠は刹那に背を向けると、静かに身体を震わせた。

「お姉さまさえいなければ・・・全て、私のものだったのにーー」

「・・・あなたは、私をずっとそう思ってたの？
ずっと・・・私を嫌って？」

「・・・決まってますわ。
お高くとまった・・・同じ双子なのに、姉さん振るあなたなんてーー」

振り向く久遠。

「ーー大っっ嫌いよっ！！」

それがとどめだった。
刹那が項垂れると、久遠はそれを尻目に部屋へ帰っていった。
すると刹那はふらふらとよろめくよう
に歩き、何とかソファーに腰を下ろすと、頭を抱えたまま動かなくなってしまう。

「ーー刹那」

そんな刹那に歩み寄った人物。
ーーアルフレッド。
待女たちと同様に、彼も何処かで一部始終を聞いていたようだ。
頭を抱えたままの刹那に近づいた彼女の肩に、そっと手を掛けようとする。

「ーー久遠に付いていてあげて」

「刹那・・・ 」

「お願い、フレッド・・・」

「・・・分かった」

だが気配で差し伸べる手を感じた刹那が、それを振り払うようにアルフレッドに言う。
アルフレッドはあくまで刹那を気に掛けながらも、望む通りに久遠の部屋へと向かっていった。

「ーーお嬢様」

「蓮華、さん」

代わって近付いてきたのは待女長の蓮華。
この雰囲気の中、刹那に近付き声を掛けられたのは、長年支えた彼女だからこそ出来ることだ。

「待女たちには自室にて待機するよう命じました。
どうぞ、ご存分に御自分をさらけ出して下さい」

「・・・くす、大丈夫。
でも、ありがとう、蓮華さん。
迷惑かけてごめんなさい」

隣りに座る蓮華に、笑顔を作って見せる刹那。
気丈な彼女の姿がそこにはあった。
するとそんな刹那の手を、蓮華は両手で優しく握る。

「お嬢様。
久遠お嬢様はきっと、刹那お嬢様と共にいられない事に心を痛めておられるのだと思います」

「そう・・・かしら」

「久遠お嬢様の仰った事、その全てが本心ではないでしょう。
後は刹那お嬢様がお姉さまとして、如何に受けとめて、応えてあげられるかではないでしょうか」

「うん・・・そうですね」

刹那が頷きながら微笑むと、蓮華もそれに合わせる。
まるで本当の家族のような温もりが、蓮華の挙動には込められていた。

「刹那お嬢様。
今夜は私のお部屋で一緒に休みましょうか」

「くす・・・なんか随分、久しぶりね。
でもたまにはいいかしら」

小さい頃は、普段家にはいない両親の代わりに一緒に寝ることもあった二人。
今日は何年か振りに、二人は同じ部屋の同じベッドで枕を共にするのだった。