２章幕間⑤ 約束の朝　作：人喰い

(２章幕間⑤)




《約束の朝》






８月６日ーーーーー決戦当日。
時刻は午前４時４４分。

少年は明かりも付けぬまま家の玄関にて靴紐を結ぶ。
ーーー少し赤みがかった外跳ねの黒髪。華奢な身体。中性的な顔立ち。

少年の名前は『市瀬 火群(いちせ ほむら)』。
今、巨悪と闘う覚悟を胸に、小さく振り向いて一呼吸。
それから「行ってきます」と呟き、ドアノブに手をかけた。




火群「ーーーーっ……！！」

家を出た火群はまだ薄暗い朝方の空を見上げ、思わず目を見開いた。

ニクス「……ッッ…！」

火群の斜め後ろに漂うカードの精霊ーーーー赤を基調とした艶やかな和装に身を包んだ金髪ポニーテールの彼女『ニクス』も、同じく顎を上げ目を細める。

二人の視線の重なる先ーーーー群青色の空の向こうに、明らかに異質な“何か”がが浮かび上がってきていたからだ。

否。

“生えてきていた”とでも言うべきだろうか。


火群「……なんなんだよ……あれは…ッッ……！」

火群の口からは真っ先に疑問が出る。
それもそのはず、その目の前の光景はあまりにも唐突で、突拍子も無いものだった。


ーーーー空に巨大な木が生えている。


簡単に言ってしまえば、そんな一言で済んでしまう様な光景であったが、それでも火群たちを驚愕させるには充分すぎたのだ。

ニクス「……あれはーーーーー」

ニクスも火群と同様に驚いてはいるが、その意味は違う。“全くの未知の存在”に対し驚く火群に対し、ニクスの場合は、“どうしてあれがここに”というものだった。


ニクス「ーーーーー〝神星樹-ﾅﾁｭﾗ・ﾕｸﾞﾄﾗｼﾙ-〟……ッ……！」


ニクスの口から出たその名称に、火群はハッとして視線をニクスに移す。

火群「それって、八神社長が言ってたーーーーー」

ニクス「ーーー精霊界と人間界を繋ぐ霊樹だ」

火群「！！」

一昨日、火群たちがYAGAMI本社ビルの45階にて目の当たりにした、樹の根に埋まる“門”ーーー『クリフォト』。
本来ならその上部に存在しているはずの巨大な蔦に覆われた木の幹、そして更に先の葉が生い茂るてっぺんまで、その姿は余すことなく人間界の空高くに現出していた。

火群「あれが神星樹……っ…！
っていうことはあの真下は丁度YAGAMIのビルか…！」

ニクス「…どうやらそうらしいな。
マインの拘束が解けるのは朝６時という話だったが……急いだ方がいいのかもしれん」

火群「……ああ！」

頷き答える火群に、ニクスは軽く笑いかけ、

ニクス「…だがその前に、約束……忘れてないだろうな？」

約束の、確認。


火群「もち！
ーーー５時に、和泉を家まで迎えに行くんだ」


噛み締めるように言いながら、火群は胸の前でぎゅっと手を握る。

そして互いに視線で合図を交わすと、街灯の照らす道に駆け出した。






＊＊＊＊＊




【Side 雫】


〜孤児院〜


火群が家を出る３０分前。


雫は食堂のテーブルの上に置き手紙を残し、物音立てぬように抜き足差し足で廊下を歩いて玄関へと向かう。
しかし古い造りの建物のため、一歩進む度にミシミシと僅かに音が立っていたーーーー


「ーーーーーシズ姉」

そこでぽつり、と。
玄関の前から優しげな声。

雫「…！ コムギちゃん…！」

コムギと呼ばれた茶髪の少女は肩をすくめ細い息を吐くと、どこか儚げに言う。

コムギ「……やっぱり行っちゃうんだね。
ずるいな……シズ姉は」

決して短くはない外泊からようやく帰ってきて、ちゃんとした挨拶も無しにまた出て行ってしまう。しかも今回は、最悪の場合二度と帰れなくなってしまう可能性だってあるのだ。

雫「……っ……」

しっかりしているとはいえ、コムギはまだ１１歳の幼い少女である事に変わりはない。当然、不安で仕方がないだろう。
そして直接の話も無しに戦地に出る雫の考えもまた、雫が火群と電話している様子を少しばかり聞いていたコムギにはなんとなく予感していたことだった。

雫「……っ…うん」

“待つ者”の辛さも、雫はよく知っている。
だからこその苦悩もあった。

雫「…………コムギちゃんーーーー」

ここにきて、声がまた震える。
が、しかし、そんな雫にコムギは半ば呆れ気味に言う。


コムギ「…ヒーローがそんなんでどうするの？」


ヒーローだと、そう言った。

雫「……えっ……？」

本音は行って欲しくない。ここで引き止めるべきだ。
しかし心は、目の前の『姉』の背中を勝手に押すのだ。


コムギ「…シズ姉にとってのヒーローがミズキお姉ちゃんなら……、私たち孤児院のみんなにとってのヒーロー……『お姉ちゃん』は、……シズ姉しかいないんだよ」

だからもっと、堂々としてればいい。

笑顔で投げかけられたその言葉に、雫は呆気に取られたように、

雫「……私がみんなの………ヒーロー…？」

言葉を咀嚼し、ゆっくりと飲み込む。

雫「…お姉…ちゃん……？」

ーーー考えたこともなかった。
今まで、姉である瑞希の影を追い続けてきた雫にとって、自分が瑞希の様に誰かに慕われる存在になるなんて。
“追う”立場だったのが、“背負う”立場になるなんてーーーー


しかしコムギの言葉を聞いて、ようやく実感した。


雫「今は私が……『お姉ちゃん』なんだーーーー」


瞬間、震えなど吹き飛んだ雫の様子を見て、コムギはうんうんと頷き、

コムギ「…待ってるから。
絶対に帰ってきてね。シズ姉」

憂いの眼差しで雫を見つめ、

コムギ「……あとこれ、持ってってっ」

なるべく音が立たない様に大股で歩み寄り、コムギから雫に何かが手渡される。

雫「……これはーーーー」

薄暗い廊下の中、反射的に受け取った掌の上をよく見てみると、丁寧に縫い合わされた水色の布に、紫の糸で『御守』と刺繍が施された手作りの御守り。それともう一つーーーーー

コムギ「………佳乃さんに教えてもらいながら作ったんだ。御守り。
それからそっちのは、おまけっ」

雫「…で、でも……っ、恥ずかしいよ…っ！」

コムギ「何言ってんの。
シズ姉もボーイフレンドに会うなら、ちゃんと身だしなみ気にしなきゃっ！」

言いながら、コムギは雫の脇を抜けてくるっと半回転。悪戯に笑いながら小さく手を振る。

雫「…っ………」

フラれたばかりなんだけどな、とは言えなかったが、コムギのお節介に感謝しつつ、


雫「……必ず、帰ってくるね。コムギちゃん」


しばしの別れを告げ、孤児院を後にした。




ーーーーー




メアリー「……おはよっ。前髪ちゃん！
……ってあれ…！？」

孤児院のドアを静かに閉めて出てきた雫の姿を見て、バイクの座席に腰掛けていたメアリーは思わず座席からずり落ちそうになる。

メアリー「…どしたの！？ その前髪ーーーー」

わなわなと指を指した先で雫は、俯き照れ臭そうに笑う。
そんな雫の、いつも目元まで覆い被さっている前髪は、鼻にかかっている真ん中の部分を残し、左右に分けられ黄色のヘアピンで止められていた。

雫「……はわ…わ…っ…」

メアリーのリアクションがあまりにも大きかったため余計に恥ずかしくなってしまった雫は、目をぱちくりさせ顔を真っ赤に火照らせてしまうが、これじゃいけない、と首をブンブンと横に振り、深呼吸。

雫「……すぅー……はぁー…っ…」

そして柔らかな唇を、ゆっくりと動かす。


雫「…これはーーーー前だけを見るためです…っ」


そう言いきる雫は、決意に満ちた表情だった。
自分なりに迷い考え抜いた結果、全ての迷いを振り切り、闘う覚悟を持った者の表情。

メアリー「……！」

メアリーはそんな雫の懸命な姿を見て、不思議と心が躍るような、暖かな気分になった。

メアリー「…ありがとう」

呟き、雫用のヘルメットを手渡す。

雫「…良かったです」

それに対する雫の返事は、何とも見当違いな安心の言葉。

メアリー「……どうして？」

とメアリーが問うと、

雫「…だってメアリーさん。
いつも私たちに『闘いに巻き込んじゃってごめん』って、口癖の様に言ってましたから……。
やっと『ありがとう』って言ってくれた事が……嬉しかったんです…っ」

眩しいくらいの満面の笑み。

メアリー「……っ…」

あまりの眩しさにメアリーは年甲斐もなく泣きそうになってしまうが、ヘルメットを被ることで強引に誤魔化す。
そんなメアリーを雫は微笑ましく見上げつつ、メアリーに合わせ慣れない手つきでヘルメットを装着した。

メアリー「……挨拶とかはもう済んだの？」

バイクのエンジン音が鳴り始めたところで、ふと、メアリーから雫に投げかけられる。
雫は前髪につけたヘアピンに右手でそっと触れると、


雫「ーーーーはいっ」


小さくそう、呟いた。




＊＊＊＊＊


【Side 明日人】


明日人「……行ってきます」

家の植物たちへの水やりを終え家を出た小太りの少年ーーー明日人は、外に出て早々に上空の神星樹に目を奪われる。

明日人「……うお…っ…！
あれは………樹……ッ…！？」

直後に、明日人の精霊である『アルセイ』が姿を現し、明日人に語りかけてきた。

アルセイ『……あれは人間界と精霊界を繋ぐ『神星樹』……。
あの樹の元へ向かうのだ。明日人』

明日人「…おう…！
あそこはYAGAMI本社ビルの真上みたいだな…！
始発電車の時間で火群たちも駅に来るはずだ。急ごう…！」




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【Side 栗須】


明日人が家を出たのと同じ頃、栗須も家を出ようとしていた。

栗須「……？」

しかしドアノブにビニール袋がかかっているのを暗がりに見つけ、玄関の電気をつける。

栗須「！」

ビニール袋にはノートの切れ端が貼り付けられており、

『行ってらっしゃい。ちゃんと食べるんだよ！！！』

と、太字のマーカーで書き殴られていた。

栗須「……ったく……、直接言えってんだよ…」

悪態を吐きながら、大量の握り飯が入ったビニール袋をカバンの中に突っ込むと、


栗須「…馬鹿カーチャンがよぉ……っ……！！」


眼鏡の奥で溢れ出る涙。
それを服の袖で強引に拭い、家を飛び出した。





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【Side 鈴華】


鈴華「ーーーーパパ。ここでいいわ。ありがとう」

積木町から車で３０分の距離。YAGAMI本社ビルの前。
車が停車すると後部座席のドアが開き、茶髪のツインアップロールが暖かな風になびく。
その優しげな風を受けながら、ゴスロリ衣装を身に纏った少女ーーー鈴華は車を降り、小さく運転席を振り返る。


進「……やっぱりパパも一緒にーーーーあだっ！」

心配気に声をかける父親の進だったが、助手席から頬をつねる母親の鈴音によってその言葉は遮られてしまう。

鈴音「ここまで来て何言ってんの。
パパが家にいなきゃ誰が進太郎たちを守るのよ」

進「……ぅぅ……！ けど、ママも鈴華と行っちゃうんだろ…？」

鈴音はシートベルトを外しながら、

鈴音「……ええ、『決闘機兵ﾃﾞｭｴﾙﾛｲﾄﾞ』研究の第一人者として、工場のデータを奪われてしまった責任もある。
私自身戦えなくても、決闘機兵の情報提供や、闘うみんなのサポートを、私がしなきゃならないわ」

言い終えると鈴音は助手席を降り、車内に残された進は寂しそうに肩を落とす。

鈴華「……大丈夫。私もママも、絶対に帰ってくるから！」

鈴音「…そうよ。だからパパは、パパの役目を果たしなさい」


そう言って歩いて行く二人の言葉を胸にしっかりと受け止め、二人の姿が見えなくなるまで進は手を振り続けた。




ーーーーー





鈴華「……市瀬さん達も必ずこの場所に来てくださるはずですわ……っ」


鈴華はそっと胸に手を当て、目を瞑る。


鈴華「大丈夫ーーーー私たちは絶対に負けたりしない」

だって私たちはーーーーーひとりじゃないから。

誰一人として、欠けてはいけない。






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【Side 火群】


〜桜庭家〜


火群「…………」


時刻は５時。


和泉との約束の時刻。









和泉の姿はどこにもなかった。




火群「……は……？」



和泉だけじゃない。


和泉の精霊、闇口千愛も。


和泉の半身、桜庭結維も。





家中探したが、誰も、いない。





ここには誰も、いなかった。