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HOME > 遊戯王SS一覧 > 第40話:"億"が動く裏世界

第40話:"億"が動く裏世界 作:

時刻は始業の1時間前。
遊次はNextの事務所のソファに横たわりながら、呆然と天井を見つめていた。
ヴェルテクス・デュエリア ドミノタウン予選2回戦から1日が経過した。
遊次は準決勝へ駒を進めたものの、怜央は敗退。

そしていま遊次の中には複雑な思いが渦巻いていた。

(君が願いを叶えるためには、僕を殺さなければならない。
君には…その覚悟があるのかな)

頭の中にこだまする、虹野譲の声。

譲が持つ願いは、持病を治すため、まだ認可されていない治療を受けること。
しかし、譲の余命は1年。
もし優勝を果たせなかった場合、次の大会までに彼の命は尽きることとなる。

そして、遊次が「ドミノタウンの復興」という願いを叶えるということは、
譲の願いを自らの手で潰えさせることを意味する。

それはすなわち、自らの手で譲を殺す事と同義だ。

その事実に気付かされてから、遊次の頭の中はそのことに支配されていた。


「悩んでる?」

天井を見つめていた遊次の眼前に、逆さになった灯の顔が現れた。
遊次の顔を覗き込み、心配そうな表情を浮かべている。

「…あぁ」
遊次は目を合わさず、低いトーンで返す。

「…そうだよね。悩んで当たり前だと思う」
灯もかける言葉をすぐには見つけられなかった。
少しの沈黙の後、遊次が体を起こすと、俯いて座り、心を内を曝け出し始める。

「俺、全然気付いてなかった。
俺が勝つってことは、相手の願いを潰すってことなんだ。
譲だけじゃない。マルコスだってそうだ」

遊次の脳裏に浮かんだのは、敗北後、泣き崩れるマルコスの姿。
あの時感じた胸のもやもやの正体がやっとわかった。
過激な思想を持っていた空蝉はともかく、
マルコスの願いを潰してしまったことにも、今になって自責の念が湧いている。

「4年前も出場してるのに、なんで気付かなかったんだ。
いや…譲の言う通り、無意識に気付かないフリしてたのかもな」

珍しく落ち込む遊次の姿を、灯はただ見つめることしかできなかった。
当事者の遊次が答えを出せない命題に、灯が簡単に答えを提示することなどできなかった。

「俺のせいで、マルコスの学校はなくなっちまうんだ。
俺はそのことに気付きもしないで、デュエルを楽しむことばっか考えて…」

遊次の組んだ両手の指に力が入る。
その様子を、苛立ち混じりに見ていた怜央は、我慢仕切れず、少し離れた席から声をかける。

「アホかお前!マルコスが負けたのは、アイツがお前よりも弱かったからだ!
お前が大会に出てなくても、その程度の実力じゃどうせ上には上がれねえ!」

「ちょっと、怜央…!」
遊次にも、そしてマルコスにも無遠慮な怜央に、灯は異を唱えようとする。
しかし怜央の勢いは止まらず、席から立ちあがり、遊次の前に立つ。

「願いが叶えられねえのは、弱ェからだ!
マジで願いを掴みたかったら、全員ブッ潰せるぐらい強くなるしかねえ!」

怜央は言葉をぶつけながら、強く拳を握っていた。
灯は瞬時に察した。彼の言葉は、自分自身に向けたものでもあるのだと。

「まさか、自分の手で相手の願いを潰すのが怖ェからって、
諦めようとか考えてねえだろうな?」

遊次は何も言わない。
しかし、それは少なくとも否定をしなかったということだ。
怜央は遊次の胸倉を掴むと、物凄い剣幕で迫る。

「次の大会でも同じような奴が現れたら、その度に勝ちを譲んのか!
テメェの願いはその程度のモンだったのかよ!あァ!?」

その瞬間、遊次の脳裏に、ある記憶が蘇る。

瓦礫の中、崩壊した建物を見つめる1人の大柄な男性。
絶望に打ちひしがれ、開いた瞳孔でこちらを振り返った瞬間、彼の目に溜まった涙。

「んなわけ…!」
遊次の眼差しに怒りが滾る。

「…そのへんにしとけ、怜央」
これまで静観していたイーサンが怜央の腕を掴み、止めに入る。
怜央は怒りの籠った目で遊次を睨みながら、しぶしぶ掴んでいた手を離す。


「昨日も言ったが、別に今すぐ答えを出す必要はない。
それに、考えてもどうしようもないことだってある」
イーサンは遊次の隣に座ると、穏やかなトーンで静かに話し始める。

「現実的な話をするなら、虹野譲が準決勝で勝ち上がってくるとは限らない。
もっと言えば、仮に遊次が予選を辞退したところで、彼が優勝できるかもわからない。
そうなれば、遊次がいくら悩もうが、彼は願いを叶えられないことになる」

「…だからって、見て見ぬフリはできねえよ。もう聞いちまったんだからな」
遊次も落ち着いて言葉を返せるようになったようだ。

「まあ、お前ならそういうだろうな。なら、もっと踏み込んだ話をしよう」
イーサンは言葉を聞かせるように、少し間を持たせて話し始める。

「俺は、お前が大会を諦めたっていいと思ってる」

「…!」
灯と怜央は驚くも、それを否定する言葉は思いつかなかった。
何故それがいけないのか、明確に言葉に表すことができなかったからだ。

「遊次の場合、別にヴェルテクス・デュエリアだけが願いを叶える手段じゃない。
どうするかはお前次第だ。
お前が誰かの願いを潰したくないって言うなら、戦わない選択をしても俺は責めはしない」


「だけどな…いつまでもウジウジするのだけはやめろ。
そんな顔してたら、依頼者の人達はどう思う?」

遊次ははっとした表情をする。

「お前が全力で向き合うべきは、"ここ"なんだよ。
Nextが、お前の願いを叶える第一歩だろ」

イーサンが真っ直ぐ遊次を見つめ、言葉を届ける。
灯と怜央は、彼が最も本質を見ていると感じた。

イーサンの言葉を受け、遊次は大きく息を吐いた後、顔を上げる。

「何やってんだ、俺…!目の前の人を笑顔にできなきゃ、
町中の人を笑顔にするなんて願い、叶えられるわけねえのにな」

遊次は立ち上がり、両手で自分の頬を強く叩く。
その表情に、もう曇りはなかった。


「諦めようなんて思ってねえ。俺は俺なりに考えて答えを出す。
でもまずは…俺達を頼ってくれる人を、笑顔にしなきゃな!」

遊次はいつものように無邪気な笑顔を浮かべる。
灯はほっとしたように微笑み、怜央はやれやれと言ったように軽く笑う。

「今日は依頼の予約が入ってる。しかも、社長直々の依頼だ。
一世一代の大仕事になるぞ。気合入れていけ」

「しゃ、社長か…。やべ、思い出したら急に緊張が…」
Nextが企業の社長の目にとまったのも、地道に継続してきたメインシティでの宣伝活動の賜物だろう。

「服装とか大丈夫かな…」
社長と話す機会などこれまで一度もなく、灯は細かいところまで不安を覚え始める。

「そんなガチガチだったら逆に変に思われるだろうが」
怜央だけはいつも通り平然としていた。

「はは…一世一代とか言わなきゃよかったな…」
イーサンは発破をかけたのが裏目に出たことを反省した。

イーサンが渇を入れたことで、遊次のメンタルは持ち直し、
いよいよ始業時間が始まろうとしている。

そしてこの依頼は、Nextにとって過去最大の難関となる。




「初めまして。OH・フィデューシャリー・グループのCEO、
オクシミリアン・ハイデンリヒと申します」

事務所に現れたのは、恰幅のいい短い金髪の中年男性。
身なりも良く、醸し出すオーラは別格だった。
競争社会の荒波を勝ち抜いてきたが故の気迫なのだろう。
そしてその後ろにもう1人、細身の黒髪の男性が申し訳無さそうに立っている。

「この度はご足労頂きありがとうございます。
改めましてイーサン・レイノルズと申します。
こちらが所長の神楽遊次と、メンバーの花咲灯、鉄城怜央です」

「よよよ、よろしくお願いします!!」

「ご、ご紹介にあずかりました、花咲です!
ほほほ本日はお日柄もよく…」

(今日は曇りだが…)
完全に空回っている遊次と灯に、ハイデンリヒは少し面食らう。

「すみません、ちょっと緊張してるみたいで…」

「はは、肩の力を抜いてください。皆さんずいぶんお若いんですね」
ハイデンリヒは優しい笑顔でイーサンに話を振る。

「ええ。ベンチャー企業といいますか、若者のエネルギッシュさを推進力に活動中でして」
イーサンは落ち着いた様子で答える。

「それは素晴らしい。この世界の未来を作っていくのは若者ですから」

「ありがとうございます。では、こちらへおかけください」
イーサンが事務所のソファへ社長とその付き人らしき男を案内する。

「社長、優しそうな人でよかったな」
「うん。もっと怖い人を勝手に想像してたけど…」

遊次と灯が聞こえないようにひそひそ声で話す。
この数ターンの会話だけでもハイデンリヒの懐の深さと優しさは十分伝わったようだ。
緊張していた2人もかなり肩の力が抜けてきた。

「それで、さっそく本題ですが…」
ハイデンリヒは少し間を置き、真剣な顔つきで話し始める。

「こちらのうちの役員である落合が、まことに言いにくいのですが…
違法カジノに手を出してしまいまして」
ハイデンリヒは隣にいる黒髪の男を指す。

「い、違法カジノ…」

大口案件と聞かされある程度の覚悟はしていたものの、
耳に飛び込んできた言葉は想像を大きく飛び越えていた。
どうやら今回は、社長の隣に縮こまって座っている男「落合」が問題の中心であるようだ。

「申し訳ございませんっ!!今回の件は全てにおいて私が引き起こした不祥事であり!
全て私に責任の所在があります!
社長、そして我が社の社員については一片の落ち度もなく!
冷ややかな目は私にだけ向けていただきたく!」

突然、落合が勢い良く立ち上がり、気をつけの姿勢で虚空に向かって大きな声を放ち始める。
遊次達は心臓をきゅっと掴まれたように驚いている。

「お、落ち着いてください…。我々は決して依頼者様を責めたりしませんから。
軽くお話を伺ってはいましたが、何やら事情があるそうで」
イーサンは落合をなだめ、ソファに座らせる。

「ええ。決して落合は私利私欲で不法に走ったわけではないのです」

大問題を引き起こした落合を、ハイデンリヒは庇う姿勢のようだ。
情状の余地のある事情があるのだろう。

「落合が違法カジノに手を出したのは元より、会社の資金を増やすためなのです。
我が社は信託会社…お客様のお金を預かって運用する会社です。まあ中堅ですがね。
まだ表には出ていませんが、直近で数十億規模の巨大な損失を出してしまいましてね」

「すうじゅうおく…」
想像もできない規模の話が飛び出し、遊次の目が点になる。

「早い話が、我が社が投資した会社の、更にその買収先の会社が、
粉飾決算をしており、巨額の赤字を隠していたんです。
その影響が転じて、我が社にも大きな損失が出てしまった。
落合はそんな状況を見かねて…」

遊次は静かに頷き耳を傾ける。
会社の資金を増やすために裏カジノへ手を出したというわけだ。
行為自体に問題はあるが、少なくとも社長が庇うのも理解はできた。

「しかし落合は違法カジノに自分の財産のほとんどをつぎ込んだが、結果は大負け。
何も得られず、罪だけを背負って帰って来た落合は、私に全てを打ち明けました」

「なるほどな。事情はわかったが、肝心の依頼内容は?」
怜央が物怖じせずハイデンリヒに問う。

「あなた方に依頼したいのは、違法カジノの元締めを倒し、落合の損失を取り戻すこと」

「元締めを…倒す?」
それは想像よりも壮大な依頼だった。
この時点で4人は、最も難しい依頼になることを覚悟した。

「はい。それこそ、デュエルでね。
メインシティで宣伝しているのを見かけましたよ。
4年前のヴェルテクス・デュエリアの本戦出場者、神楽遊次さん」

「え、知っててくれたんですか!?光栄です!
いやー、そりゃ世界中が注目する大会の出場者だからなぁ~!ハハハー!
まっかせてください!元締めだかなんだか知りませんが、
ヴェルテクス・デュエリアベスト16の俺がとっちめてやりますよ!」

社長に認知されてるとわかった途端、遊次は水を得た魚のように饒舌になる。

「調子に乗るのが早えんだよ…」
ついさっきまで落ち込んでいたとは思えない回復ぶりに、怜央は呆れる。

「元締めに金を返せと言って素直に返してくれるはずはない。
であれば、オースデュエルで取り戻す他ない。
頭を悩ませていたところ、腕に覚えのあるデュエリストが、
人々の悩みを解決するなんでも屋を営んでると来た。
まさに"渡りに船"でした」

「そうでしょう!なんでも屋ですよなんでも屋!
あなたのような方々のために俺達は存在するんです!」

「ええ、渡りに船どころか、ジェット機と言ってもいい!」

「渡りに…ジェット機…!!」
遊次は目を輝かせ、心に響いた言葉を嬉しそうに復唱する。

(川渡んのにジェット機はいらねえだろ…)
目の前で繰り広げられる調子のよいやり取りに、怜央は頭を抱える。
灯は元気を取り戻した遊次の姿を微笑ましそうに見ている。

「違法カジノのことはどこで知ったんですか?」
灯が落合に問いかける。

「…仕事帰りの夜道、ある黒服の男が突然話しかけてきました。
顔はサングラスで隠していたためはっきりわかりませんが、そこで違法カジノを紹介されました。
彼はまるで私の状況を全て知り尽くしているようでした。
会社の業績が傾いていること、私の資産状況など…どこで情報を手に入れたかは全くわかりません」

「その黒服の男に心当たりは?」
イーサンがメモを片手に話を聞き出す。

「私も考えたのですが…全く心当たりはありません。知り合いではないと思います。
どこからか会社の損失のことを知り、私に目をつけたのかと」

「なるほど。1つ気になったのですが、わざわざ裏カジノに手を出したのは何故です?
カジノはデュエリアでは合法ですし、大統領の意向で近年更に勢いを増しています。
通常のカジノではいけなかったのでしょうか?」

「…合法カジノと裏カジノではレートが全く異なります。
勝ち続ければ、元手を何十倍にすることもできるのです。
まあ望み薄ですが…私はそのわずかな希望にすがってしまいました」

「それに、合法のカジノだとお金を使用した記録が残ってしまいます。
個人の資金でギャンブルをして、そのお金で会社の資金を増やしたという事実を、
公式の記録に残すわけにはいかず…」

イーサンは「なるほど」と一言呟き、頷く。
どう考えても悪手ではあるが、逼迫した落合の状況からすると、
そのような判断をしてしまったのも理解はできた。

「あぁ…今では、あんな愚かな手しか思いつかなかった自分の無能さを恥じています。
社長にも多大なるご迷惑をおかけし…なんとお詫びすればよいか…!」

彼自身も、今は自分の行いを反省しているようだ。
現状はただ彼が個人の資金をギャンブルで溶かしただけの話であり、会社に直接的な影響はない。
Nextに依頼しに来たのはただの社長の温情ゆえだ。

「でも、警察には相談されなかったんですか?その…一応、違法行為なわけですし。
警察に言えばカジノの元締めは逮捕されるんじゃないですか?」
灯が当然の疑問を投げかける。

「本来はそうするのが正しいのでしょう。しかし…我が社にはもう後がありません。
お客様のお金を預かる立場にも関わらず役員が違法賭博をしていたとなると、
あまりにイメージの下落が大きすぎます。
ただでさえ巨大な損失を抱えている状況ですから…」

金銭を扱う会社の重要なポストの社員が、金銭絡みの犯罪を犯したとなると、
会社全体の信用問題に繋がる。それは業績不振で傾きかけている会社にとって致命的だ。

「落合さんも逮捕されてしまうでしょうね」

「…はい。不法に手を染めたのは落合の失態。本当にバカなことをした。
だが、それは全て会社を思っての事。
落合はこれまで入社から我が社一筋で、本気で会社のためにその人生を捧げてくれました。
だから…この事は表に出さず、内密に全てを解決したい…!」

ハイデンリヒはNextの4人に深く頭を下げる。

「社長…っ!本当に申し訳ございません…!」
落合は隣でその姿を見つめ、涙を流す。

「しかし、無理にとは言いません。
違法行為が絡みますし、リスクも大きいものですから」

普通なら軽々しく受けられるような依頼ではない。
最終的な判断は所長である遊次がすることとなる。
3人は遊次の顔を見つめ判断を仰ぐ。

「いえ、もちろん受けさせてもらいます!」
答えは即答だった。

「確かに違法カジノに手を出したのは悪いことですけど、
社長は自分の社員を救いたいってだけで、その気持ち自体が悪いことじゃない。
困ってる人が助けを求めていたら応えないわけにはいきません!
なにせ、ジェット機ですから!」

遊次は胸を張って高らかに答える。

「気に入ってるんだね、それ…」

「あくまで我々はなんでも屋。法の体現者ではありません。
落合さんを告発しても得はないですし、守秘義務も守らせていただきます」

イーサンも遊次に同意する。
警察や法で解決できない問題こそ、なんでも屋の出番だ。

「…ありがとうございます!!
私の不徳から出た錆でお手数をおかけし誠に恐縮ではございますが、
何卒よろしくお願いいたします!!」

「はい!任せてください!」
胸を張る遊次に、落合は涙ながら、土下座に近い形でめいっぱい頭を下げる。


「で、いくら取り返したいんだ?」
話がまとまりかけた中、怜央が具体的な金銭の話を持ちかける。

「1億サーク。それが私のベットした額です。
一生懸命貯めたそのお金もあっという間に溶けてなくなりましたが…」

「い、いちおくぅ!?」
遊次と灯は声を揃えて驚愕する。
Nextの4人にとって、それを得ることも、失うことも想像のつかない額だ。

「そんな大金、全部カジノにぶっこんだってのかよ…。イカれてんな…」
怜央は曲がりなりにも依頼者である落合に無遠慮な言葉を投げかける。
しかし当然、落合はその言葉を否定できない。

「では依頼内容としては、カジノの元締めを見つけ出し、1億サークを取り戻すという事ですね」

「…いえ、元締めを"倒す"ところまでが依頼内容です」
ハイデンリヒはイーサンの言葉を否定する。
そして彼の言葉の続きを落合が話し始める。

「…お金を失ったのは、完全に私の自業自得です。そこまでなら諦めもつきました。
しかし、あれから毎日のように脅迫の電話や手紙が届くようになったんです。
『5000万サークを支払え。
さもなければお前が裏カジノに出入りしているという事実を公にする』と」

「…それは裏カジノの元締めの仕業なんですか?
もし違えば、元締めを倒しても脅迫はなくならないと思いますが」

「間違いありません。手紙には裏カジノに入店する自分の写真が同封されていました。
参加者にも一切場所がバレないように徹底されてるカジノで、
第三者がそんな写真を撮れるはずがありません!」

カジノそのものだけでなく、
ゲームを終えた後も徹底的に搾取する二段構造になっているというわけだ。
参加者がそれなりに立場のある者であるほど、この脅迫は有効だ。

「自分が裏カジノを開いておいて、
裏カジノに出入りした事実を脅迫材料にする…ひどいマッチポンプですね」

イーサンが顔をしかめる。
ただの違法賭博であるだけに留まらず、脅迫まで行っているとなると、
明確な悪意を持った犯行だ。

「わかりました。元締めを倒して、二度と脅迫ができないようにする…
頑張ってみます!」

遊次は落合の目を真っ直ぐ見て宣言する。
金を失っただけなら自業自得と割り切った落合に対して、
追い打ちのように脅迫を行う元締めは、完全なる悪だ。
これでは蟻地獄のように、1度入れば退路が存在しないことと同義だ。
そして、被害者は他にもいるはずだ。それが我慢ならなかった。


「ちなみに依頼料についてですが、
前金で300万サーク、成功報酬で2700万サーク…合計3000万サーク。
これは私のポケットマネーから出します。それでいかがでしょうか」

ハイデンリヒは顔色一つ変えず、巨額の交渉を淡々と行おうとしている。

「さささささ、さんぜんまんーーー!?!?」

「あ、あわわ…」
未だかつてないほどとんでもない依頼料に一同が愕然とする。

「(前金だけで300万…それだけで今までとは比べもんにならねえ額だ…!
こんだけの金がありゃ、あいつらも…)」

怜央は開いた瞳孔でチームの子供達のことを思い出す。
怜央は彼らを良い未来に導くことを願い、まずはその基盤を整えるためにNextに加入した。
しかし前金だけでも十分、彼らにまともな暮らしを提供できるだけの額が提示された。
さらに成功報酬はその10倍。
一度の依頼でそれほどの額を手にすることなど、彼らには想定していなかった。
怜央は全身の毛が逆立つのを感じた。

「…よいのですか。相当の大金ですが…」
イーサンはわかりやすく動揺することはなく、落ち着いた様子で確認する。
明らかにこちらの想定していた依頼料と異なると察せられてしまっては、
額を下げられる可能性もあるためだ。

「歯に衣着せなければ、犯罪行為の隠蔽とも言える依頼なのです。
その上、違法カジノを運営するような無法者と直接対決をしなければならず、
調査にも相当苦労されるでしょう。
3000万サークでも安いぐらいですが、
私のポケットマネーにも限度があり、会社の金に手を付けるわけにもいかず…」

ハイデンリヒにとっては支払って当然の額であった。
少なくとも依頼料を下げられる心配はなさそうだ。

「い、いえいえ!もう大・十分です!!やります!何としてもやり遂げます!」

「絶対に成功させんぞ…!」
まさに一世一代の大仕事に、遊次と怜央は気合十分の様子だ。

「でも、お金を取り戻すといっても、どうやればいいのかな。一番の問題はそこだと思うけど…」
灯は一瞬で頭を冷やし、冷静に策を考える。

「そんなもん、カジノに乗り込んで元締めをぶっ倒せばいいんだろ?」
相変わらず遊次の脳内には無鉄砲なアイデアしかないようだ。

「そう単純ではありません。向こうも違法行為ですから、そう簡単に尻尾を掴めないのです。
私は1度別の場所に集まった後、目隠しをしてカジノへ連れていかれました。
ですから、場所が全くわからないのです」

落合が自身の経験から語る言葉が、この依頼の難しさを物語っていた。
提示された金額に浮かれた気持ちが、段々と現実へと引き戻されてゆく。

「その場には私の他に3人の参加者がいました。
それ以外には目にしていませんが、他の部屋にはいたかもしれません」

「なるほど…。まずは裏カジノの場所を掴むところからでしょうね。
逆に違法カジノが行われている証拠さえ掴んでしまえば、
それをダシに奴らに交渉をしかける事もできます」

イーサンは段階的に作戦を練り上げてゆく。

「隠しカメラを体につけて潜入するとか?」

「おぉ!スパイ映画みたいでワクワクするな!」

「仕事なんだぞ、ワクワクするとかあんまり言うな」
イーサンが再び浮かれ始めた遊次を言の葉で静止させる。

「カジノの警備は厳重で、入場時には身体チェックも念入りに行われます。
情報が外部に漏れないように徹底されていて、そう簡単にいくかは…」

身体チェックがあるということは、隠しカメラをつけて潜入というのも相当ハードルが高いだろう。

「うーむ。一筋縄じゃいかなそうですね。
方法に関しては一度こちらで検討させていただきます。
決まり次第、また連絡させていただこうかと」

この場ですぐに答えは出ないことを察し、イーサンが話に収集をつける。

「えぇ、お願いします。…危険な目に遭うかもしれません。
私が依頼しておいてなんですが、どうかお気を付けください…」

ハイデンリヒと落合が深く頭を下げる。

「お心遣い感謝します。あぁそれと、可能な限り情報を提供いただきたいです。
落合さんがカジノに行った時刻・状況・そこにいた人などを可能な限り。
しばらくお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ。落合は残しますので、私は失礼させていただきます。
振込先をメールでいただければ、前金の方は振り込まさせていただきます」

ハイデンリヒは事務所から去り、
その後、落合からカジノに入った時の状況を思い出せる限りの全て聞き出した。
落合は自分以外にもカジノに同席した"3人の人物"の顔も覚えており、
それを絵心のある灯が紙に描いて、モンタージュを作成した。

モンタージュの作成など行ったことはなかったが、
時間をかけて丁寧に、落合が思い描く顔と一致するように何度も描きなおし、
カジノ参加者および、カジノへ誘った案内人のモンタージュを作成した。

参加者を集め車で裏カジノまで運搬した案内人は、夜道で落合を裏カジノへと誘った男だったようだ。
サングラスをつけていたものの、可能な限り顔の特徴を描き切った。
坊主頭で、どうやら左眉の上に小さな傷があったという。

情報の提供が一通り終わった頃、
イーサンと共にハイデンリヒと落合を見送り、Nextの面々は作戦を考えることになる。


「勢いで受けちまったけど、裏社会のヤツらと戦うことになるんだよな。…大丈夫かよ、灯」
ひと段落ついた時、遊次は改めて、この仕事の危険さを認識した。
灯が危険に巻き込まれることが脳裏によぎり、胸の中に不安が募ってゆく。

「何言ってるの。怖いチームのアジトに車で突っ込んだこともあるんだから、いまさらだよ!」
灯は強気に言ってのける。
内心では怖いかもしれないが、それを決して表には出さなかった。

「俺の方で、できるだけ用心棒はかき集めとく。
そうすりゃ突入するとしても安心だろ」

坊主頭と眉の上に傷のある男のモンタージュを睨みつけていた怜央が、
横目で遊次達に声をかける。

「心強いけど、よく考えたら物騒だな…。
…わかった。みんな、十分用心していけよ」
遊次も皆で一丸となって戦う覚悟ができたようだ。


「それにしても、どうやって潜入すっかなぁ~」
遊次が天井を見つめて考えを巡らせる。

「まずどこにカジノがあるかもわからないし…
どうやって調べればいいか見当もつかないよ」

灯も顎に手を置き、頭を悩ませている。

「そもそも正面から潜入するのが正しいかもわかんねーぞ。
絶対に失敗するわけにはいかねえんだ、確実にオースデュエルまで持ち込まないといけねえ」
3000万サークという大金がかかっているため、怜央はいつにもまして真剣だ。


「…また頼るしかないか、彼を」
イーサンが窓の外を眺めながら言う。

「俺もちょうど同じこと考えてたとこだ。
俺らには、こういう地道な調査が得意な"仲間"がいるからな」





「なるほど…。違法カジノの元締めからお金を取り戻すのが依頼内容で、
裏カジノの場所を探るのが俺の仕事と」

Nextの事務所に呼ばれたのは、Nextと業務提携を結んでいる探偵・伊達アキトだ。
彼はドミノタウンで個人で探偵業を営んでおり、
デュエルに関してはNext・調査に関しては伊達探偵事務所がそれぞれ協力することで、
仕事を円滑に行えるような提携がなされているのだ。

「頼む!頼れるのはアキトしかいねえんだ!」
遊次が手を合わせて拝むようにアキトに頼み込む。

「伊達さんのおかげで引ったくり犯を見つけたこともあったし、
今回もぜひ協力してもらいたくて」

灯はアキトに、幼馴染の窮地を救ってもらった恩がある。
彼の推理力への信頼は絶対のものだ。

「頼んではみたものの…おそらくカジノは場所を転々としてるはずだ。
それを突き止めるのは至難の業じゃないか?」

「いや、これだけ情報があれば不可能ってほどじゃありません。
特にカジノ参加者のモンタージュ。
参加者を特定できれば、そこから更に情報を引き出せるかもしれない」

アキトは落合から集めた情報をまとめた資料を見つめ、淡々と言ってのける。

「でも、どうやって?」
灯は、アキトに頼りきりで不甲斐ないという思いを抱えながらも、
今は彼に頼るしかない現実を受け入れ、彼に問いかける。

「うーん、まあそこは企業秘密っていうか…」
「え~。なんだよ、教えてくれてもいいだろー」
「いやぁ、なんというか、ちょっと言いにくいというか…」

無邪気につっかかる遊次に、アキトは困った様子で頭をかく。

「他社様から技術を盗むってわけにはいかないんだよ、遊次。
そこはわかってあげてくれ」
大人の事情を察したイーサンが助け舟を出す。

「そ、そういうもんか?わりいな、ズケズケと聞いちまって」

「気にしないで。じゃあ、提供してもらったこの情報をもとに、こっちで調べてみるよ」

「ありがとな。マジで助かるぜ!
俺らが受けた依頼なのに悪ぃな。一番大事なとこ任せちまって」

Nextも各々が様々な才能を持っており、
主にデュエルではこの町で右に出る者はいない程の精鋭揃いだが、
推理や調査の面ではやはり技術不足だった。

インターネットを駆使した調査などはある程度行えるものの、
裏カジノの場所を特定する方法など、到底想像もつかなかった。

「持ちつ持たれつさ。こっちの依頼も、君達がいなきゃ解決してないことも多いしさ。
役に立てて嬉しいよ。それと、その依頼者の方と密に直接連絡できればありがたい。
もちろん守秘義務は徹底するよ」

「わかった。連絡先を教える。
本当に助かるよ。報酬額は破格だ。アキト君にも相応の料金を支払うよ」
イーサンがしっかり大人としての筋を通す。

「ありがとうございます。詳細は追って連絡いただければ。では、俺はこれで」
アキトが事務所を後にする。
彼は近い内、想像を超える報酬額に目玉が飛び出ることだろう。









夕日が街を焼き染める頃、怜央は古びた団地の階段を上っていた。
鉄の手すりは赤茶けて剥がれ、歩くたびに軋んだ音を吐く。
周囲には人気もなく、風に乗って遠くから喧騒がかすかに響くだけ。
彼は階段に腰を下ろし、膝を立てて、ある人物に電話をかけていた。

「アンタに聞きたいことがある」

「あなたは、鉄城さん…でしたよね。どうかしましたか?」
電話の相手は落合だ。

「アンタをカジノに誘った案内人のことだ。
坊主で眉の上に傷がある男を知ってるか、町の裏社会の連中に聞いて回ったが、
その特徴だけじゃ個人を特定できなかった」

アキトに調査を依頼した後、Next側でも調査を進めていた。
イーサンはアキトの調査に協力し、SNSなどインターネットを中心に情報を収集。
遊次と灯は町の人にモンタージュのイラストを見せて聞き込みをしつつ、
いざ潜入するとなった場合の小型カメラやマイク、変装用の服など、
必要なアイテムを買い集めていた。
聞き込みについてはほとんど収穫はなかったが、道具を買い揃えることはできた。

怜央は裏社会のコネクションを頼りに、
カジノの案内人の正体を突き止めるために動いていたのだが、
坊主に眉に傷のある男という情報だけでは、個人を特定するまでには至っていなかった。
そこで落合から更なる情報を引き出すため、こうして電話をかけているというわけだ。

「う、裏社会ですか…。それは、随分お手数をおかけしました…」

「あ?別にお手数じゃねえよ。俺が聞いた話じゃ、
ジェンガベイの辺りで、坊主で眉に傷のある男が『リッジサイド』って組織にいたらしい。
どうやらかなりイカれた集団って噂でな。
その男は巷じゃ『ガキ』って呼ばれてたようだ」

なぜそんな組織の情報を手に入れられるのか気になったが、落合は深く追求しないことにした。

「ガキ…ですか。その人が、私をその…誘った人なのでしょうか?」
突然ディープな話を耳元に注ぎ込まれた落合は、
周りの目を気にしながら、ひそひそと電話口に話す。

「それがわかんねーから、他に情報を持ってねえか知りてえんだ。
坊主に眉の傷ってだけじゃ決定打に欠ける。何でもいい。思い出せねえか」

「うーん…」
落合は必死に当時の記憶を手繰り寄せようとする。

「ちょっとした仕草とか、何でもいい。何かねえのか!」
怜央の声の圧力が強くなる。
数千万サークがかかった依頼だ。焦りが募っているのだろう。

「…あっ、そうだ!タバコを吸ってました!」

「坊主で眉に傷があるような奴は大体タバコ吸ってんだろ!他にねえのか!」
期待した割に大した情報ではなく、怜央は苛立ちを見せる。

「い、いや、そうではなくてですね!火が点いてないタバコを吸ってたんです!
吸ってたというか、咥えてた、というか」

「ライターを忘れただけじゃねえのか?」

「うーん、違うと思いますよ。
もしライターを忘れただけなら、すぐにタバコをしまうじゃないですか。
その男はずっと火のついていないタバコを咥えてたんです。それこそ、味わうように」

「…もしそれがヤツの趣味だってんなら、悪くねえ情報だ。
助かった。じゃあな」

無遠慮に電話を切ると、怜央は目下のとある建物を見つめる。

空き地に建つ二階建ての廃屋。
外壁はひび割れ、窓はベニヤ板で塞がれている。
風が吹くたび、どこかのトタンが軋んだ音を立てる。

壁には赤いスプレーで「Ridge Side」と書かれている。
「ガキ」と呼ばれる男がかつて所属していたという組織の名だ。
怜央はドミノタウンに留まらず、少し離れた"ジェンガベイ"まで来ていた。

怜央は勢いよく階段から飛び降りると、
ポケットに手を突っ込みながら、ぶっきらぼうに建物の前まで歩いてゆく。
すると、建物の前を見張っていたスキンヘッドの巨漢が、
怜央の前に立ち塞がり、背の低い怜央を見下ろす。

「何の用だ」
男はくぐもった低い声で問う。

「ちと聞きたいことがあってな。入っていいか?」

「いいわけ…ねえだろ!」
巨漢の男は突然、怜央に殴りかかる。しかし怜央はひらりとかわす。

「別にケンカ売りにきたわけじゃねえ。『ガキ』って男について聞きにきた」

「ガキ、だと…?」
男の表情が変わった。
スキンヘッドの男は少し考えた後、建物の中へと入ってゆく。


「ローチさん、こいつです」
スキンヘッドの男に連れられ、中から別の男が出てきた。
ローチという名の、両腕いっぱいにタトゥーが掘られた、金髪の男だ。
唇には3つピアスが空いている。

「アンタがリッジサイドのリーダーか。
『ガキ』って奴がアンタんとこにいただろ。そいつを探してる」
彼の醸し出す風格から、彼がリーダーであることはすぐにわかった。

「ハハ、奇遇だねぇ。俺も探してんだよ」
ローチは色の抜けた金髪を無造作に垂らし、笑ったままこちらを見ていた。
気さくに見えるが、目の奥は笑っていない。

「まぁ、入れよ」
ローチは親指で建物の中を指し示す。
怜央は物怖じすることなく、中へと入ってゆく。


中央には黒革のソファが2つ、対面して置かれている。
テーブルは分厚いガラス製で、何本ものエナジードリンクの缶が置かれている。
天井には監視カメラとスピーカー。コードはむき出しのまま壁を這っている。
出入口の付近には何本もの鉄パイプが転がっている。

怜央は許可もなく堂々と、黒革のソファの中央にずけずけともたれかかる。
突然入って来た小柄な男に、周囲の屈強な男達の視線が集中する。
だが、リーダーのローチが彼を連れてきたこともあり、特に口出しする者はいない。

「この絵の男に見覚えはねえか」
怜央はテーブルに案内人のモンタージュの絵を置く。
ローチは目を細めてそのモンタージュを見つめる。

「…ま、ガキって言われりゃガキだねぇ。
僕ちゃんさあ、そもそもなんでコイツを探してんの?」

ローチがニヤケ面で問いかけるが、やはり目の奥は黒いままだ。
未だ素性のわからぬ怜央を警戒しているのだろう。

「仕事だ。金に困ってる奴を裏カジノに誘ってるらしい。
俺はコイツをどうにも見つけなきゃならねえ」

「お前、サツかなんかか?」

「フッ、そう見えるか?」
後ろから大男が威圧的に問うも、怜央は鼻で笑い、一言であしらう。

「火の点いてねえタバコを吸うのが趣味って話もある。
『ガキ』はどうだった?」
怜央の言葉を聞いた途端、ローチは周囲の男達を見回す。
その後、近くにあったナイフを手に取ると、モンタージュの絵に刺した。

「…ガキだよ、ソレ。稲垣拓海」
それが"ガキ"の本名らしい。

「アイツ、タバコを素材のまま味わうとかいう変な奴でさぁ…。
蕎麦食う時もつゆにつけねえし、天ぷらも何もつけねーで食うんだよ。
気持ちわりいよなぁ、ホントに…」

ローチから笑顔が消える。
その言葉尻には明確な敵意…否、殺意がこもっていた。

「決まりだな」
怜央が立ち上がろうとした瞬間、
ローチはモンタージュに刺さっていたナイフを引き抜き、怜央に突き立てる。

「おいおい…一方的に話聞いてサヨナラか?
それはダメだろ僕ちゃん…ギブアンドテイクだよなぁ?世の中…」

怜央は突き立てられたナイフには目もくれず、真っ直ぐローチを見つめる。

「…お前ら、その稲垣って奴を探してんだろ。
見る限り、相当な恨みを持ってるようだが」

「あぁ…そうだよ。アイツさぁ、自分がサツにパクられそうになった時、
代わりに俺の一番大事な弟分を売って、自分だけ綺麗に逃げやがったんだ…。
許せねえよなぁ…ホントに」

ローチは喉の奥でくぐもった笑いを漏らしたまま、
指先で自分の膝をとん、とん、と軽く叩いていた。

「弟分とは未だにさぁ…会えてないんだよ…。
寂しくてさぁ、俺…壊れちまうよ…」

膝を叩くリズムが、次第に乱れていく。
笑みは消えていないが、頬がひくつき、奥歯の噛み締めがわずかに浮かび上がっていた。

「だからガキの奴、見つけたら壊してあげようと思ってんだ。じゃないと不平等だよなぁ。
アイツ、俺がブチギレてんの知って、慌てて逃げ隠れちゃってさぁ…ホントかわいいよねぇ」

ローチが怜央に突き立てていたナイフを引っ込める。
ローチは未だに稲垣を探しているようだ。
そして稲垣も報復を恐れて身を隠している。
怜央にとってこれは重大な事実だった。

「俺の目的は、その稲垣って奴が絡んでる裏カジノをブッ潰すことだ。
まだ場所は掴めてねえが、いずれは乗り込むことになる」

怜央はあくまでNextのことを微塵も話題に出さない。
「俺の目的」と言い、集団で動いていることも隠している。

「そのパーティー、お前らも招待してやるよ。
それが俺からのお返しってヤツだ」

ローチは吟味するように怜央をじっと見つめる。

「…いいよ。パーティーは大勢いた方が楽しいもんなぁ…!」

ローチはニヒルな笑みを浮かべる。
リッジサイドのメンバー達も、首や拳の骨を鳴らしている。
探し求めていた標的に会う機会を得て、"やる気"に満ち溢れているようだ。





「…ってわけだ。稲垣拓海はリッジサイドからの報復を恐れてる。
それを理由にゆすって、オースデュエルに持ち込めるはずだぜ。
ついでに、カジノに乗り込む時の用心棒も確保した」

怜央はNextの事務所で事の顛末を報告した。

「凄い!さすが怜央!」
初日から大きな収穫に、灯は笑顔で拍手を送る。

「用心棒って、まさかそのリッジサイドの連中じゃないだろうな…」
イーサンは、単身で危険な組織のアジトに乗り込んだ怜央に、
感心とある種の恐怖を抱いた。

「そのまさかだ。問題あるか?」
「話を聞く限り、相当ヤバい連中だろ。大丈夫なのか?」

「別に無差別に暴れたりしねえよ。俺も見ての通り無事だしな」

「無事って…ナイフ突き付けられてんじゃねーか!
お前のそういうとこはすげーと思うけど、なんかあったらどうすんだよ」

遊次は飄々としている怜央に危機感を覚えるが、
彼がいなければこの情報を得られなかったのも事実だと理解していた。

「まあともかく、これで一歩前進だ。
俺の方はアキト君の指示で、他のカジノ参加者候補を片っ端からネットで洗ってる。
アキト君の方でも参加者の目星はついてきたみたいだ」

「え、もう!?そこまで早いとは思ってなかったよ。
探偵さんって凄いんだね…」

「見事にモンタージュに顔がそっくりな金持ちの候補者が、
ポンポンと挙がってくるんだ。俺も驚いたよ」
灯とイーサンは伊達アキトの異常なまでの推理力に疑問符を浮かべる。

「ホント、どうやってんだろうな。でも、企業秘密ってヤツなんだよな~。
ま、とにかく1日ですげー進歩だ!明日からも頑張ろうぜ!」

予想以上の順調さに遊次はご機嫌で帰り支度を始める。
遊次も一日中歩き回り、疲労が溜まっているようだ。

数千万サークが懸った一世一代の大仕事。
その1日目は順調な滑り出しだ。




その日の深夜。
アキトはひとり、モニターに囲まれた事務所の一室でコーヒーを口に運んでいた。
カーテンは閉じられ、壁掛け時計の針がわずかに音を立てている。
机の上には、灯が描いたモンタージュと、数枚のメモ用紙が無造作に散らばっていた。

正面の画面には、ある人物の顔。
その下に「類似検索:30件一致」の文字が浮かぶ。

横のモニターでは、サムネイルが自動で切り替わっていた。
2人の男が対談する動画、金融セミナーの映像、
高級外車を紹介するレビューの背景、開店イベント。
どの映像にも、似た顔が断片的に姿を見せる。

もう一枚の画面では、SNSの投稿が並んでいた。
店のロゴが写るワイングラス、リゾートホテルのラウンジ、
誰かの自撮りの隅に映り込む横顔。

アキトは椅子にもたれ、カップを手にしたまま、静かに目を動かす。
点滅する情報だけが、部屋の空気を淡く揺らしていた。






「参加者の正体がわかったぁ!?」
翌日の昼間、事務所を訪れたアキトの報告を聞いた遊次は、
大口を開けて驚きの声を上げる。

「まあなんとか、徹夜でね…」
目の下に大きなクマを作ったアキトは、目を擦りながら言葉を返す。

「たった1日で、3人ともですか?
いくらなんでも凄すぎますよ、伊達さん!」

まさかアキトの調査力がここまでとは思っていなかった。
いくら徹夜したとはいえ、顔のモンタージュのみで個人を特定するのは常軌を逸していた。

「これが参加者の情報だ」
アキトは3枚の資料をテーブルに並べる。
そこには顔写真と、個人の年齢や勤め先など、事細かにデータ化されていた。


①レイヴァルト・ザリフォス
後ろへ撫でつけられている茶髪をしている男性。ところどころ跳ねて整いきらない。
眉が太く、目つきは鋭い。頬骨がやや張っており、鼻の下に無造作な髭を生やしている。
やや粗暴な印象を受ける。

年齢:38
職業:都市開発会社 代表取締役
所属組織/役職: 民間都市開発グループ CEO
事業内容:商業施設や高層ビルなどの都市開発事業を手がける民間企業グループの運営
年間売上規模(推定):約130〜180億サーク



②雨宿 真白(あまやど ましろ)
どこか冷たい雰囲気を持つ女性。肩のあたりで切り揃えられた黒髪。
目は細く横長で、鼻筋は通っているが高くはなく、
口元はわずかに厚く、閉じていても強気が滲む。
作りは端正だが柔らかさがなく、他人を近づけない雰囲気を醸し出す。

年齢:33
職業:個人投資家
所属組織/役職:なし
事業内容:短期回収を目的とした物販・小規模事業への個人出資
定資金運用規模:およそ30〜50億サーク



③ストラトゥス・ミロヴェアン
まるで王子のような華やかさを持つ男性。
肩にかかる金髪は緩く波打ち、丁寧に手入れされている。
顔立ちは整っていて、目元は淡く、口元に癖のない静かな線がある。

年齢:29
職業:IT企業グループ CEO
所属組織/役職:ソフトウェア開発企業代表、難民支援団体理事

事業内容:業務支援向けソフトウェアの開発、クラウドインフラの構築・運用
年間売上規模(推定):約180〜260億サーク


テーブルには、モンタージュとおおよそ一致する顔ぶれが並ぶ。
そして、その全員が大金を動かす立場にあることがわかる。

「すごい…。でも、なんでここまでわかっちゃうんですか?」

「ハ、ハハ…まあ、経験の賜物というか…」
調査方法に言及されるとアキトはすぐにはぐらかす。

「…いくらなんでも、ただの探偵じゃ説明つかねえだろ。
何かヤベエことやってんじゃねえだろうな?」

アキト本人の態度も相まって、何か裏があるのではないかと皆が勘ぐっていた。
本人に直接聞きにくい空気の中、デリカシーを知らない怜央が真っ先に切り込んだのだ。

アキトは怜央の問いに沈黙で返す。
それは「やましいこと」があることを示していた。

「お、おい…マジかよ。
さすがに犯罪とかに手出してたら、困っちまうぞ…」
思わぬ展開に遊次も眉をひそめる。

「いや…そこまでじゃない…と思う。
確かに問題はあると思うけど、でも…」
アキトは少し考える間を空けた後、意を決したように前を向く。

「…君達には、話しておかなければならないな。俺の秘密を」

「秘密…?」
4人はアキトの声に耳を傾ける。


「俺は1年前まで…DIEBに所属してたんだ」

「でぃ、ディーブ!?」
遊次は思わず声を上げる。

「DIEBってあの…スパイ映画とかでよくある?」

DIEBとは、Duelian Intelligence and Espionage Bureauの略で、
デュエリア諜報局とも呼ばれる、デュエリアの諜報機関だ。

「うん。俺は主にデータ収集と分析が専門分野だった。
小学生の時から海外に住んでて、父親がエリート志向なこともあって、
そういう道を進むのが当たり前だと思ってた」

「でもいざやってみると、なんか肌に合わなくてね。
DIEBって、国家のために身を捧げるものだろ。
でも俺は、困ってる個人を助けたいという想いの方が
日に日に強くなっていったんだ」

「それでこの町に戻って来て、探偵やってるってわけか」

「それはわかったが、それがどうアキト君の異常な調査能力に関係あるんだ?
DIEBに所属した経験ってだけじゃ、まだ説明はつかないはずだ」

イーサンが本題を逸らさず、アキトに疑問を投げかける。
アキトは口を固く結んで言い淀んでいたが、覚悟を決めて口を開いた。

「…これは、君達を仲間だと信頼してるから言える話だけど…
俺はDIEBで使ってたデータを持ち出して、探偵業に流用してる」

「マ、マジか…」
犯罪ほどの事ではないと言っていたが、それに匹敵するレベルの問題発言が飛んできた。
遊次達は返す言葉が見つからない。

「あくまで表向きに公開されている個人のデータだけを集めたもので、
機密の個人情報なんかは一切持ち出してない。
悪いことなのはわかってる。リスクもゼロとは言わない。
でも…正しいやり方だけじゃ守れない人達が沢山いるんだ」

彼の瞳が揺れる。いつも見ているアキトの姿とは別人のようだった。
それは、DIEBとして、探偵として、様々な過去を乗り越えてきた男の姿だった。

「父はジャーナリストでね。正義感が強い人だ。
そんな父が昔から僕に言い聞かせてた言葉がある。
"何かを守りたければ線を引くな"ってね」

「ある時、国の不正に関与したとして、矢面に立たされていた官僚がいてね。
しかし父はその疑惑の全体像を事細かに調べる内に、
小さな矛盾に気付き、疑惑自体に違和感を持った。
そしてその人物に直接話を聞いた父は、彼が無実であると直感したそうだ。
彼はスケープゴート…身代わりなのだとね」

「しかしそれはあくまで直感。明確な証拠を掴むことはできていなかった。
…正しい方法ではね。
もし真実を掴むなら、不正アクセスなどの不当な手段を使うしかない。
しかし、父はそうしなかった。
過ちを正すためには、自分自身が正しくなければならないと考えていたから」

「結果、証拠は掴めず…その官僚は自ら命を絶ってしまった。
不正の疑惑を一手に背負ってね」
救いようのない顛末に遊次は言葉を失う。

「結局、そこから何十年も経って、彼が冤罪だということが世間に知れ渡った。
不正を行った張本人が、病床で自分の罪を告白したから。
父の直感は正しかったんだ」

Nextの4人は合点がいった。
彼がDIEBのデータを不正に流用している理由に。

「もしあの時、どんな手段を使ってでも証拠を掴んでいれば、
その人は死ななかったかもしれない。
残された家族だって、悲しみに暮れることはなかったかもしれない。
父はそのことをずっと後悔しているんだ」

アキトの脳裏に、涙ながらに息子に過去を語る父の姿が思い浮かんだ。
何十年経っても彼の後悔は消えていないという証拠だ。

「この話が、ずっと僕の頭に焼き付いている。
正しい方法だけじゃ救えない人がいる。DIEBにいる時も、何度もそれを痛感したよ」

「…黙っていてごめん。
リスクだと感じるなら、業務提携を解いてもらっても…」

「解かねーよ!」
遊次は即座にアキトの言葉を否定する。

「ぶっちゃけ、アキトのやってることはヤベーかもしれない。
でも、知っちまったんだから、もう一蓮托生だろ!」

「遊次…」

「実際、お前のデータベースがなきゃ、調査は進まなかったと思う。
それが依頼者を救うことに繋がるんだ。
それって、まさに親父さんが言ってた事そのものだろ。
正しい方法だけじゃ救えない人もいるって」

灯とイーサンも静かに頷く。

「グレーを放置し続けてるこの町で暮らしてきた身からすりゃあ、
DIEBなんか知ったこっちゃねえな。
んなことよりも、先に解決しなきゃならねえ問題が世の中いくらでもあるぜ」

アウトローに身を置いてきた怜央からすれば、
アキトを責める理由は微塵もなかった。

「この依頼を成功させりゃ、3000万サークが手に入るんだ。
そんだけの金がありゃ、居場所のねえガキ共に、ようやくまともな生活をさせてやれる。
俺の目的はハナからそれだけだ」

「怜央の願いは、私達が背負ったものでもある。
あの子達には、もっと笑顔になってほしいし、絶対にこの依頼は成功させたいから」

Nextにとって、チームの子供達が真っ当に育つ環境を作ることも使命の一つだ。
不法な方法を怜央達から奪い、矯正させようとした責任があるのだから。
そして、半年以上に渡ってチームの子供達と触れ合い、
灯自身も心から子供達の幸せをより強く想うようになった。

「俺はアキト君の行為を、手放しに肯定したりはしない。
俺達は法の体現者ではないが、守るべきもののために、
きっちりと"線"は引かせてもらう。
もし遊次達や子供達に何かあれば、君のことを庇うつもりはない」

イーサンは感傷的にならず、冷静に分別をつけ、
自分達にとって何が大切かを考え、判断を下す。

「でも…君が私的にDIEBのデータを流用したことで、
俺の大切なものに、直接的な不幸が訪れる可能性は低い。
個人の公開情報を集積して、アクセスしやすくしただけのものなんだろ?」

イーサンの問いに、アキトは強く頷く。

「それなら現状リスクは低いし、
むしろ怜央や灯が言ったように、俺達の目標に大きく近づくために必要なことでもある」

「君や君のお父さんの信念は、ある意味で正しい。それを貫くなら否定しない。
でも、君は今や、俺達の人生をも背負ってるんだ。
その自覚を持って、きっちりとリスクを管理すること。
それが、俺から言えることだ」

イーサンにとっての大切なのは、"この場所"と、遊次達の夢の成就だ。
それだけが彼の考えの中枢だった。
イーサンにとっての"居場所"を揺るがすリスクがあれば、アキトを守ることはしない。
ただし現状は、そのリスクよりも、皆の夢に大きく近づくメリットに天秤が傾いている。
それが彼の見解だ。
最終的な意見は遊次達と同じく、彼もアキトとの関係を断つつもりはない。
ただし、しっかりとアキトにも釘を刺しておくという判断が、
Nextの最年長としての思慮の深さであった。

「ありがとうございます…!」
アキトはただ、深く頭を下げた。


「んじゃ、本題に戻ろうぜ。
この3人がカジノの参加者で間違いないのか?」

テーブルに置かれたデータに視線を戻し、
いつもの調子で遊次が明るく問いかける。

「落合さんに確認したから間違いない。
この3人が、落合さんと同席した参加者だよ」

「問題は、この3人からどうカジノを突き止めるかだね」
灯は3人のデータにそれぞれ目を通すものの、まだ案は思い浮かばない。

「それについてはまだ調査中だけど、当たりはつけてるんだ。俺の推理を聞いてくれるかな」
遊次達は頷く。

「イーサンさんの協力で、3人の過去の発言を片っ端から洗いだしてわかったんだけど、
ミロヴェアンはインタビューで、ギャンブルは一切やらないという発言をしている。
そしてザリフォスは、ハイド大統領のカジノを増やす方針に反対する議員に、献金を行っている。
雨宿についてはそういう発言は見つからなかったが、少なくとも内2人は、
通常であれば、裏カジノになど出入りするはずのない人間だ」

「つまり、そんな人達が裏カジノに手を出さなきゃいけなくなる事情があった…ってことですね!」

アキトの意図することを理解した灯が、少し興奮した様子で口を開く。

「そう。例えば急激な業績の悪化・巨額の損失。
しかし、調べてもザリフォスとミロヴェアンの会社の業績不振などは特に見つからない。
つまり、落合さんと同様、まだ表にも出ていないような速度で、
元締め達はそれらを把握できた…と仮定できる」

これらはあくまでアキトの推測の域を出ない話だ。
しかし少なくとも、ギャンブル気質のない2人が裏カジノに出入りしていたことは事実であり、
そこには何らかの原因が存在する。
落合という実例もいる以上、アキトの仮説はその原因の的を射ているように思えた。

「では元締め達はどうやって、表に出ていない資産家達の事情をリアルタイムに把握できたのか。
可能性はいくつかあるが…彼らの情報を集める内に、
もっとも可能性の高いものが見つかった」

アキトはクリアファイルから1枚の資料を取り出す。

「なんだ?この写真」
そこには参加者の1人であるザリフォスが映っていた。
現実離れした高級そうな空間で、ザリフォスが笑みを浮かべ、ワインを持っている。

「これはザリフォスがSNSにアップした写真だよ。
場所は会員制高級サロン『マジシャンズ・スターダスト』。背景から特定した。
ここは経済界の大物が集うらしくてね。
機密性も非常に高く、だからこそ鮮度の高い情報が手に入る場所だ。
色んな成功者達と意見や情報を交換できる場だから、
もし自分が大きな損害を出して焦っているとしたら、そのことを相談してもおかしくない。
お酒が入るから、警戒心も緩むしね」

非常に端的で明快な推理だった。
彼が元DIEBであるということにも強い説得力があった。

「けど他2人…雨宿とミロヴェアンがこのサロンに通っているという情報は見つかっていない。
ミロヴェアンに関してはSNSもやっていないしね。
でも雨宿については、間接的に『マジシャンズ・スターダスト』に通っていた可能性を見つけた」

アキトはもう1枚別の資料をテーブルに置く。
そこには雨宿のSNSの投稿が印刷されている。

「昨夜は少し飲みすぎたらしく、朝起きたらホテルのベッドの上だった。
…どうやら家までは戻れなかったらしい。気の利く誰かが近くに泊めてくれたのだと思う。
部屋には冷たい水とメイク落としがちゃんと用意されていて、そういう細やかさは嫌いじゃない。
靴がベッドの下に転がっていたのは少し興醒めだったけれど、まぁ仕方ないわね。
誰かは分からないけれど、とりあえずありがとう。おかげで、無駄な二日酔いだけは避けられた」


「雨宿さんの投稿だね。なんか顔に似合わず意外とお茶目…」

「すげえ上から目線だけどな…」
写真からはクールで冷たい印象を受けるが、投稿は人間臭く、灯は少し親近感を覚えた。

「でもこの投稿が、そのサロンに通ってることになるのか?」
遊次は首をひねり、考える。

「いや、この投稿だけじゃわからない。これを見てくれ」
アキトはもう1枚、別の人のSNS投稿が印刷された紙をテーブルに置く。
カフェの窓際の席で女性がピースをしている写真だ。
その写真を見せられても遊次達は全くピンと来ていない。

「ここだ」
アキトが窓の外に映ったぼやけたシルエットを指差す。

「まさか、これが雨宿さん…?全然わかんねーぞ」
遊次が目を細めてシルエットを凝視する。
髪型や雰囲気は雨宿と言われればそう見えるが、顔まではハッキリ認識できなかった。

「見て、服装が過去の雨宿の投稿と一致しているんだ」
アキトが自身の携帯でその投稿を提示する。
シルエットは不鮮明だったが、真っ白なロングコートに深い赤のマフラー、斜めがけの黒いバッグ。
色と形の配置が、以前の投稿での雨宿の服装と完全に一致していた。

「この写真が撮られたのは、カフェ『Morning & Sons』だ。投稿時間は朝10時頃。
このカフェは『ホテル・ルミアード』という場所の近くにある。
そして…このホテルは、高級サロン『マジシャンズ・スターダスト』から最も近いホテルだ」

点と点が線で繋がってゆく。見え始める輪郭。
それを次々と露にしてゆくアキトの推理力に驚きを隠せなかった。

「つまり、雨宿さんはマジシャンズ・スターダストで酔い潰れて、
その近くのホテルまで誰かに運んでもらった…そういうわけだな!」

遊次が目を輝かせながら人差し指を突き立て、得意げな顔をしている。

「アキト君も人遣いが荒いよ。
不特定多数からこの画像を見つけるの、気が狂うかと思った」

どうやらこのカフェの画像は、アキトに指示で、
イーサンがインターネットの荒波を泳いで見つけ出したものらしい。
アキトの推論の元、初めからマジシャンズ・スターダストの付近にあるホテルの
周囲の画像を探したのだろうが、それでも骨が折れる作業だ。

「さらに俺の推論を補強する根拠がある。
雨宿の投稿からは誰と飲んでいたのかまではわからないが、
少なくともそこまで親しい仲でなかったことは推察できる」

アキトが再び雨宿の投稿が印刷された紙をテーブルの一番上に置く。

「もし親しい友人や恋人・家族などと飲んでいたのであれば、いくらなんでも家まで送るだろう。
近くのホテルに泊めてそのままってのは違和感がある。
もし連絡先を交換している相手なら、
『酔い潰れてたからホテルまで運んだ』という連絡を残すはずだろう。
しかし彼女の投稿を見るに、結局誰がホテルまで運んだかわからなかったとわかる。
これらの情報からも、飲んでいたのは親しい間柄でなかったことが伺える」

「会員制サロンで飲んでいたのであれば、相手は同じサロンの会員の誰か。
まあ何人かの集団である可能性が高いな。
相手が連絡先を交換するほどの深い知人じゃないという条件に当てはまる」

イーサンがアキトの推理を解説する。
酔い潰れた夜に、マジシャンズ・スターダストの近くのホテルに泊まっており、
その時に同席した者は連絡先すら交換していない間柄だった可能性が高く、サロンの条件に当てはまる。
確定情報とまではいかないものの、十分な推論と言える。

「参加者の内2人が、同じ会員制サロンに通ってた。
そうなると、裏カジノ元締めの情報収集場所は、そこかもしれねえってわけか」

怜央がアキトを見つめ、噛み締めるように言う。
まさかここまでの推理力を持っているとは思っていなかった。

「ってことは、サロンに潜入できりゃいいんだな!
…でも、俺らみたいなもんが入れんのか?そんな場所」

「いや、マジシャンズ・スターダストは紹介制だ。簡単には入れない」
次なる目標が見えたが、同時に課題も浮き彫りとなる。

「でも、もし会員から紹介してもられば入れるんだよね。
ザリフォスさんか雨宿さんに直接交渉できれば…」

長時間推理に集中したことで頭が柔らかくなってきた灯が、解決案を提示する。

「俺もそう考えてたところだ。別に会員にならなくても、
会員からの紹介ならゲストとして入場できるだろうな。
そのためには、ザリフォスか雨宿に直接、裏カジノについて問いただして、
正式に協力してもらえるように交渉する必要がある」

イーサンが更に作戦を形にしてゆく。

「裏カジノに通ってることを脅しに使えば、協力せざるを得ねえだろうな」
怜央が悪い笑みを浮かべる。

「別に脅さなくても『アンタらの分の金も取り返してやる』って言えば協力するんじゃねーか?
あくどいカジノだから負けてる可能性の方が高いだろうし、
落合さんみたいに脅迫を受けてるかもしれないからな」

「その両軸で行こう。
アキト君、ザリフォスと雨宿の居場所とか行動パターンを割り出せないか?」

「やってみるよ。ミロヴェアンの方も調べてみる。彼も会員かもしれないし」

とんとん拍子で目標が定まってゆく。
調査開始から2日目にして核心まで迫ってきている。
これも元DIEBのアキトによる圧倒的な推理力の賜物だった。
彼と業務提携をしたことがNextにとって大きなプラスを生むことを誰もが確信した。





ここはカタンシティ、海沿いの街。
陽が斜めに差し込んで、海が橙色に濁っていた。
湾岸の遊歩道、舗装された広い路面の先で、
柵に両腕を置き、ザリフォスは海を見ていた。
茶髪を雑にオールバックで固めた、粗暴な印象を受ける風貌の男だ。

上着の裾が風に煽られて揺れる。
ポケットからタバコを取り出して咥えて、ゆっくりと火を点けた。
ひと口、煙を吸い込む。
彼の目はどこか虚ろ気だった。

遊次は、数メートル背後でその姿を見ていた。
卓越した調査力と推理力により、彼の居場所を突き止めたアキトが、
ザリフォスの尾行を遊次に依頼したのだ。
同時に、すでに灯が雨宿を、怜央がミロヴェアンの尾行を実行しているところだ。

尾行しながら、1人になるタイミングを見計らっていた遊次は、
歩幅を一つずつ縮めながらザリフォス声をかける。

「ザリフォスさん、ですよね」
声を掛けられたザリフォスは振り向くが、特に返事はしない。
活気を失った表情をしている。

「うかない顔ですね。なんかイヤなことでもありましたか?」

「…まあ、ちょっとな」
見知らぬ若い男が突然話しかけてきたという違和感に突っ込む余裕はなく、
ザリフォスは必要最低限の返事だけを返した。

「もしかして、裏カジノでお金をスっちゃった…とかですか?」

「なっ…!」
ザリフォスは体を震わせ、遊次の方を見開いた目で見つめる。

「お前か、俺を脅してやがんのは!
ただでさえ大金失ったのに、まだ搾り取ろうってのか!?」

ザリフォスが遊次に掴みかかり、物凄い剣幕で迫る。
やはり彼も落合と同様、裏カジノに出入りしている事実を盾に脅迫されているようだ。

「ちょ、ちょっと待て!なんか勘違いしてんぜ!
俺は別に裏カジノの人間じゃねえ!」

「じゃあなんだ!なんで知ってんだよ!」
「わかったから、いったん落ち着いてくれ!」
遊次が腕を振り払うと、ザリフォスは荒い息を何度も吐く。

「俺ら、裏カジノの元締めを倒すために動いてるんです。
あなたと同じように、大金を奪われて、脅迫されてる人の依頼で」

「……そうか。そりゃ悪かった。
確かに裏社会の人間には見えねえとは思ってたけどよ」

遊次の言い分を聞き、ザリフォスも落ち着きを取り戻したようだ。
手にしていたタバコを携帯灰皿にしまう。

「俺、神楽遊次って言います。なんでも屋をやってて、
ある依頼で、裏カジノを追ってます」

「なんでも屋…?よくわかんねえが、俺に何の用だ?
てか、何で俺がカジノにいたことを知ってんだ」

「まあ、あなたまで辿り着いた理由は企業秘密ってことで。
ザリフォスさん、『マジシャンズ・スターダスト』っていう会員制サロンに通ってますよね。
俺らはそこに元締めがいるって踏んでます」

「おいおい、そこまでわかってんのかよ。俺もあそこが怪しいと思ってたんだ。
俺が大損こいたことを知ってんのなんか、あそこぐらいしかねえからな。……クソッ!」
ザリフォスの怒りが再燃し、拳で鉄柵を叩く。

「やっぱそうなんすね!
俺ら、元締めの奴らを倒すために、そのサロンに潜入したいんです。
でも会員制だから、会員の人の紹介が必要で…」

「…残念だったな。俺はもう会員じゃねえ」
「えっ…?」
手がかりを掴んで浮かれた気持ちが、一瞬で静まってゆく。

「裏カジノで大金ブッこんでパーにしちまった俺は、
ブチギレてあのサロンに乗り込んだ。どう考えてもあそこが情報のツテだからな。
そこで暴れまくったから、迷惑客としてサロンを出禁になっちまった。
だからもう会員じゃねえんだ」

「そうですか…」
遊次は残念そうに一言だけ返す。当然、彼を責めることはできなかった。

「結局、あの店がカジノとグルって証拠もねえしな。泣き寝入りするしかねえ。
俺は、何もかも失っちまった。……ほんとに、バカだった…!」

ザリフォスは鉄柵に頭をつけ、震えながら涙する。
遊次はただその姿を見つめ、静かに怒りを募らせる。

「まだ失ってねえよ。失わせねえ。
俺達が元締めを絶対ぶっ倒す。だから、諦めんなよ」

遊次の横顔を夕日が照らす。
顔を上げたザリフォスはその姿に、少しだけ希望を抱いた。

「…ぶっ倒すって、んなもんできっこねえよ。
正体もわからねえ。カジノの場所もわからねえ。
仮に見つけたとしてどうすんだよ」

しかし彼は自分自身で心を現実に引き戻そうとしていた。

「俺らならできる!実際、こうやってアンタに辿り着いただろ!
…なぁ、他に思い出せることはないか?
会社が損したこととか、誰に、どういう状況で喋ったのか、とかさ!」

遊次の言葉がただの虚勢でないことを、ザリフォスは感じ取った。
彼は本気だ。その熱量を無視する選択肢は、今のザリフォスにはなかった。
ザリフォスは数か月前の記憶を遡る。

「…あのサロンには何回か通ってた。最初は特におかしいとこはなかったぜ。
普通に飲んでただけだし、話してた内容も金持ちの自慢話大会みてえなもんだ」

「だが何回か通った後、凄腕のコンサルタントがいるっつう話になって…。
俺の会社が巨額の損失を出したのもちょうどその時だ。
俺ぁ多分心が弱ってて、つい相談しちまったんだろうな」

「じゃあ、そいつが元締めと繋がってるんじゃねーか?
どんな奴だった?」

「…それが、よく思い出せねえんだ。多分、酔っぱらっちまっててよ。
酒に強い方じゃねえから、そんな酔っぱらうモン、飲んでねえはずなんだがな」

「そんなぁ!そりゃねーぜ!!
1つ1つ、状況を思い出していこうぜ!」

この頼みの綱を手放すわけにはいかない。
遊次はなんとか情報を引き出そうとする。
ザリフォスは来店した時から記憶を遡る。

「あの時は確か…入店してすぐ、
店員に試作品の酒があるから飲んでみてほしいって言われて、ショットグラスを渡されたんだ」

「どんな酒だった?」

「見た目は、黒いポツポツが浮いてる、見たことねえ感じだった。
飲んでまず真っ先に感じたのはバニラの味だ。香りも強かったな。
あと……カラメル?焦げた砂糖みてぇな甘さもあった。
でも普通に飲みやすくてウマかったぜ。冷えてたから、疲れた体に染み渡った」

「うーん…」
珍しい酒ということはわかったが、その情報だけではヒントは得られなかった。

「で、店員に味の感想を聞かれて、普通にアリだなって感じで伝えたはずだ。
その後、いつもみたいに色々つまみながら談笑って感じだ。
何食ったっけかなぁ…チーズとか、生ハムとか、別におかしいもんはなかった。
その間も、さっきと同じ試作品の酒を、氷入れたり、味変したりで3,4回出されたぜ」

遊次は集中しながら違和感がないか聞いていたが、全く見つけられなかった。

「で、その後に例のコンサルと話したと思うんだが、その辺りから記憶が曖昧だ。
その時点で酔っちまったんだろうぜ。それ以降はあんまり覚えてねえ」

「なんだよぉ!全然いい情報ねえじゃねーか!」

「しょうがねえだろうが!じゃあお前は何週間も前のことをハッキリ思い出せんのかよ!」

「思い出せるわけねーだろ!俺は今を生きてんだ!」
何のヒントも得られない苛立ちからか、遊次は支離滅裂な主張をする。

「…コンサルの男は、ガタイがよくて、サングラスをかけてて、
高そうなスーツ着てたのは覚えてるが…それ以上はわからねえ。
わりぃな、役に立てねえでよ」

「それから数日後、いかにもな野郎が俺をカジノに誘ってきて、
俺はそれに乗っかった。結果がこのザマだ」

「いかにも?坊主で、眉の上に傷があるヤツか?」
「あぁ、そうだ」
ザリフォスをカジノへ誘ったのもやはり稲垣拓海であるようだ。

それからのザリフォスの証言は、落合から聞いたものとおおむね同じだった。
一通り話を聞き終わった遊次は、少しの間沈黙する。
最後にやるべきことを思い出したからだ。

----------------------------------------------
~数時間前~

「他の3人がスッた分も元締めから奪い返すって言うんだろ?
じゃあ、その分いくらかマージンは引かねえとおかしいよな」

尾行作戦に入る前、怜央が唐突に口にする。

「ま、まあ言ってることはわかるけどよ…。
ただでさえ成功したら3000万ももらえんのに、さらに取るのか?
ちょっと気が引けるんだけど…」

がめつい行為に感じた遊次は、怜央の提案に引け目を感じた。

「何言ってんだ。3000万はあくまで依頼者の社長の分だろうが。
じゃあ他の参加者の分の金はタダで取り返せってか?」

怜央の主張は最もだったが、遊次の心情がそれに追い付いていなかった。

「いいか、3000万入るっつっても、それが全部ガキ共の生活に行くわけじゃねえ。
まず事務所に入って、探偵の分を払って、その後4等分だろ。
俺の分はともかく、その残った金だけで家のねえガキ5人を育て上げられるわけねえ」

トーマスとリクは実家で暮らしている分、怜央が面倒を見るまではいかないが、
怜央達と暮らしているリアム、ミオ、星弥、ランラン、治の5人については、
きちんと勉強させて、真っ当に社会に出られるように育てなければならない。
そのための金としては心もとないのが実際のところだ。

「遊次も、この事務所を、いつまでもこの規模でやるつもりはないだろ。
将来的にもっと多くの人を助けるためには、事務所の規模を上げて、人を増やす必要がある。
そのためのチャンスと考えれば、怜央の言ってることは最もだ。
それに、"いざ"って時のために、貯められるだけ貯めといた方がいい」

イーサンも怜央の意見に同意する。

「…そうだな。わかった。
別に私腹を肥やすために金をもらおうってわけじゃないんだ。
話した時に、掛け合ってみる」
----------------------------------------------

遊次がザリフォスに損失分を取り返すことと、
代わりにいくらかマージンをもらうということを伝えた。
公平性を期すために、1億取り戻す場合の依頼料は3000万サークだったことも伝えた。

「いいぜ。俺はカジノに3億ブッ込んだ。
前例に倣うなら、そっちの取り分は9000万でどうだ?」

「きゅ…きゅうせん…」
1億を取り戻す依頼の料金が3000万。
3億取り返す場合、単純計算で3倍というわけだ。
3000万だけでも目が飛び出すほどの額だったが、ザリフォスはあっけなくその3倍の額を提示した。
明らかに手が震えるのがわかる。
自分達がそんな額を手にすることを全く想像できなかった。

「なんだ?不満か?」
黙り続ける遊次をみかねてザリフォスが回答をせかす。

「い、いや!十分だ!それで頼む!
絶対に、何がなんでも、アンタの金は取り返してみせる!」

これは億単位の金が動く仕事なのだ。
すでに歯車は動き始めている。もう止めることはできない。
ならば、この重みを背負って戦うしかないと、遊次は覚悟を決める。

いくら資産家とはいえ、ザリフォスは会社も大きな損失を負い、自身も大金を失った身だ。
この額は彼の覚悟と信頼の表れでもあった。
すでに宣言してしまった以上、遊次に失敗は許されない。
彼の覚悟を無駄にしないために、遊次は戦う覚悟を胸に誓った。




「…ってことらしいんだ。
結局、俺の方ではサロンに潜り込む協力は得られなかった」
遊次は得た情報をアキトに電話で報告する。

「…そうか。頼みの綱は花咲さんと怜央君だな…。
わかった、こっちでも色々調べてみるよ。ありがとう!」

アキトは電話を切ると、
Next事務所の椅子の背もたれにもたれかかり、天を仰ぐ。


「試作品の酒を飲んだ日に、強く酩酊し、記憶を失った。
その日に都合よく現れたコンサルの男…そいつが黒幕とすると…」
アキトは得た情報を頭の中で整理する。

「バニラの味、黒い粒…カラメル…か。
……いや、まさか…!」

アキトは体を起こし、目の前のノートPCで検索をかける。
いくつかの記事に目を通し、数回頷くと、
アキトはイーサンが座っているデスクまで駆ける。

「イーサンさん!わかりました!奴らのトリックが!」




「なんだ?トリックって?」
遊次・灯・イーサン・怜央・アキトは、グループ通話で一堂に会していた。

「急に呼び出してごめん。
花咲さんと怜央君は尾行の方は大丈夫かな?」

「雨宿さんの方は今、カフェで打ち合わせ中。
離れた席から見てるけど、当分は話しかけられないから、大丈夫」

灯はカフェの角の席で、雨宿を横目にひそひそと話す。

「ミロヴェアンは今、社内にいる。
伊達の調べだと昼時に出てくるんだろ。それまでは問題ねえ」

怜央はオフィス街のあるビルを見上げながら、
人気のない路地に寄りかかり、電話口に話している。

「そっか。それで本題なんだけど、遊次がザリフォスに聞いた話から、
奴らが使ってるであろうトリックがわかったんだ。
これが何を意味するのかはわからないが、共有しておきたくて」

「トリックって、探偵さんみたいだね!」
灯はテンションの上がる単語を聞き、ぱっと明るくなる。

「いや、探偵なんだけど…。
ザリフォスの証言だと、怪しいコンサルに会ったことは覚えてるが、
何を喋ったか、コンサルがどんな人だったかを思い出せないそうなんだ。
ザリフォスは普段強いお酒も飲まないし、その日も飲んだ記憶もないと。
でも、それこそが奴らのトリックなんだ」

「どういうことだ?」
アキトからは目新しい情報はない。全て遊次がザリフォスから聞いた話だ。
そこにどんなトリックがあるのか、遊次には皆目見当もつかなかった。

「ちょうどザリフォスの会社が大きな損失を出してすぐ、怪しいコンサルの男に出会った。
そしてその日ことはほとんど覚えていない。
これは偶然ではなく、必然。奴ら…元締めの連中が仕組んだことだ」

「奴らは試作品と言って、アルコール度数の高い酒を、短いスパンで何度も飲ませたんだ。
一度に飲まさせると怪しまれるし、試作品として不自然だから、
氷を入れたり味を少し変えたりして、ショットグラスで数回に分けて飲ませた。
ショットグラスで3・4回となると、大体60~80mlぐらいかな」

アキトは手元のメモで手早く計算をしながら、推理の続きを話す。

「正確な度数はわからないけど、仮に30度の酒だとすると、
25mlのショットグラス1杯で純アルコールは約6グラムになる。
3~4杯飲めば、だいたい18~24グラムのアルコールを摂取することになるわけだ。
肝臓は1時間に7~10グラムのアルコールしか分解できないから、
これを短時間で飲むと、肝臓の処理が追いつかなくなる」

「すげーな、そんな賢かったのかよ」
怜央が素直に関心の言葉を向ける。

「まあ、一応理系の学部を出てるからね」

「そうだったんだ。あれ、出てる…?
でも年齢的に大学卒業はまだなんじゃ…?」

アキトは遊次の同級生であり、年齢は21の代であるはずだ。
一般の4年生大学であれば辻褄が合わない。

「あぁ、一応飛び級で…」
アキトは申し訳なさそうに謙遜する。

「マジか…そこまでエリートだったのに、今まで1回も言わなかったよな…。
俺なら毎日言いふらすぞ…」
遊次はかつての同級生とのレベルの違いを痛感する。

「ま、まあそんなことはどうでもいいんだ。
肝臓はアルコールを分解する際、まずアルコールをアセトアルデヒドという有害な物質に変える。
普段はこのアセトアルデヒドもすぐに分解されて無害になるんだけど、
短時間で大量に飲むと処理が追いつかなくて血液中に溜まるんだ。
これが脳に回ると、神経細胞の働きを乱して、特に記憶の形成に重要な海馬の機能を妨げる。
その結果、新しい記憶が作れなくなり、飲んだことや話した内容を覚えていられなくなるんだ」

「ほえ~…」
まるで興味のない授業を聞いているような気分になった遊次が、気の抜けた生返事をする。

「まあ要するに、奴らはそれを意図的に、かつ自然にやったってわけだ。
もしコンサルの男が元締めとグルなら、わざと酩酊状態にさせて、情報を引き出した。
更に、話したことも見たことも忘れるから、自分達の正体がバレにくくなるというわけさ。
多分前もって酒に弱そうな人を選別して、度数の高い酒を、気付かせずに大量に飲ませたんだ」

「…いや、ちょっと待てよ。その話はおかしいぜ。
ザリフォスはその酒を"飲みやすかった"って言ってたぜ。
酒に強くないザリフォスが度数の高い酒を飲んだら、さすがに気づくだろ!」

遊次がザリフォスから聞いた話を思い出し、
まるで異議ありと言わんばかりに勢いよく指を突きつける。

「そう、そこがトリックの肝なんだ。
酩酊させるためには、酒に耐性の低い人物を選ばなければならない。
でも、そんな人物が強い酒を何杯も飲むわけがない。
この矛盾を解消するのが…"バニラ"だ」

「バニラ…?」
灯と怜央は首をかしげる。

「その試作品のお酒は、黒いポツポツが入っていて、バニラの味と香りが強くて、
焦がしたカラメルの味がして、とても冷えていた。そうだったよね?」

「あぁ、そう言ってたぜ」

「それこそが、アルコールを感じにくくさせるトリックなのさ。
舌の中には、TRPV1っていう、辛さや熱さを感じ取る“センサー”があってね。
これはアルコールにも反応するんだ。
でも、バニリン――バニラの成分には、このセンサーを鈍くさせる作用がある。
簡単に言えば、刺激を“もう感じなくていい”って脳に錯覚させるんだ」

「そして、酒に入っていたという黒いポツポツ…これはおそらくバニラビーンズだ。
これが舌のセンサーを鈍らせ、アルコールを感じにくくさせた。
更に冷えていることでアルコールは更に感じにくくなるし、
カラメルの甘さや香り、高度数に見えないビジュアル…
これらが相互的に作用して、ザリフォスは"飲みやすい酒"だと錯覚したんだ。
せいぜい度数は10%程度だと思ったはずだ」

アキトの圧巻の推理に、4人はただ耳を傾けることしかできなかった。
このトリックを瞬時に導き出せるアキトも恐ろしいが、
もっと恐ろしいのは、このトリックを編み出し、
人の弱みを無意識化で引きずり出した"元締め"の狡猾さだ。

「それを試飲と称して自然に何杯も飲ませたわけか。
バニラの効果と甘い味によって飲みやすいから、本人も度数が高いとは気付かないと…」
想像もよらぬトリックに、イーサンは目元を指で押さえる。

「多分、雨宿さんとミロヴェアンさんも
同じ方法で無意識に情報を吐かされた…ってことだよね」

灯には敵にしている存在が、想像しているよりも遥かに巨大に思えた。

「…トリックってヤツはわかった。でも、それがわかったからなんだ?
まさか自分の頭脳を自慢したいってだけじゃねーだろうな」

怜央のあまりにも無遠慮な言葉の弾丸が炸裂する。
しかしその疑問は間違いではなかった。
長々と披露しておきながら、今後に繋がらなければ時間の無駄だ。

「いや、そんなことないよ…。この事でわかった事が2つある。
1つは、やはり雨宿はマジシャンズ・スターダストの会員だということ」

雨宿を尾行中の灯が、視線を後ろの席の彼女へと向ける。

「雨宿のSNSの投稿を洗ったが、マジシャンズ・スターダストだと特定できるものはなかった。
しかし彼女の投稿の中に、"バニラとカラメルのお酒"に関するものがあった。
例のサロンにそんなメニューはないから除外してたが、試作品となれば話は変わる。
やはり彼女も、その酒を飲んだ…否、飲まされていたんだ」

「ならば、いよいよそのサロンが元締めと繋がってるってことで間違いなさそうだな」
アキトの推理の正しさが証明され、イーサンの声は自信に満ちていた。

「うん。そして2つ目は、このトリックがわかっていれば、
こちら側が相手を罠にかけることもできるってこと。
これについては、更に調査が進んでから作戦を改めて考えよう」

まだまだ道のりは遠いようだが、遊次とアキトによって調査は大きく前進した。


通話を切った灯は、後ろの雨宿に視線を移す。
ちょうど、彼女が立ち上がり、席を立つところだった。
彼女は1人で店を出るようだ。


(…来た!)

サロン潜入の協力を得るためには、
1人になったところで交渉をしかける必要がある。

灯も彼女の後を追うように店を出た。

凛とした姿勢で歩く雨宿の後ろを、
1歩1歩と、灯が歩み寄ってゆく。



第40話「"億"が動く裏世界」 完



雨宿を尾行していた灯は、彼女にサロン潜入の協力を願い出るが、彼女は強く拒む。
裏カジノへの参加をネタに揺するも、全く通用しない。

この機を逃せば、依頼を成功させる道が絶たれてしまう。
そうなれば子供達を良い未来へ導く夢も、Nextを大きくする夢も、遠のいてしまう。

灯は意を決して、雨宿へとある交渉を仕掛ける。
それは肉を切らせて骨を断つ、痛みを伴うものだった。

そして始まる、灯と雨宿のオースデュエル。
雨宿はコイントスによって天を運に任せる戦術を得意としていた。

そう、投資も、デュエルも、そして人生も…
彼女にとっては全てが"賭け"だった。

「5000万程度の"はした金"じゃ、わたくしは動かない」


次回 第41話「生粋のギャンブラー」


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