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冥號-タルタロス攻略戦 作:内視鏡
地球に「死崩星 タルタロス」の脅威が迫っていた。宇宙に存在するあらゆる物質を吸収するそれは、星や銀河すらも飲み込み、宇宙を削り取りながら成長を続けていた。そしてついに、その侵蝕が太陽系まで届こうとしているのである。
太陽系防衛軍の会議室では、連日に渡ってタルタロスへの対策会議が開かれていた。
「技術チームにより、ご報告です。タルタロスとアーゼウスが交戦した場合のシミュレーション結果が出ました。既にタルタロスは通常兵器が通用しない程に成長を遂げていますが、アーゼウスの主砲の最大出力であれば、撃破可能という結果が得られました」
この報告に、多くの者が「おおっ」という安堵の声を上げた。しかし、報告者を含め技術チームの顔には暗い影が落ちたままであった。
「報告には、続きがあります。仮にタルタロスを撃破し機能を停止させた場合に引き起こされる事象についてです。タルタロスは内部に超圧縮状態の質量を保持しています。この圧縮状態はタルタロスの機能により維持されているものです。
仮に、タルタロスが機能停止すれば、自身の質量を維持できなくなり、自己崩壊を始めます。このプロセスにより、内在する質量の全てがエネルギー放射となって大爆発を引き起こす事が分かりました。計算結果については資料を御覧下さい」
資料の中では、爆発の規模が想像できない程に天文学的な数値で表されていた。
「もしその大爆発が起きれば、宇宙を消滅させるには十分なエネルギー量となります」
今度は落胆の声が室内で溢れかえった。司令官である男は結論を再確認した。
「つまり、タルタロスの撃破は不可能であると?」
その場に居る者達は、まるで処刑を宣告された死刑囚の心境を味わった。
会議室で長い沈黙が続いた。その沈黙を破ったのは、アーゼウスの正規パイロットである青年であった。
「アーゼウスのエネルギーを防御フィールドとして展開した場合、タルタロスの重力場に耐える事はできますか?」
突然の質問に困惑しながらも、技術者は回答した。
「そうですね……かなりの消耗となりますが、耐えられる筈です。そうでなければ、そもそも奴に主砲が届きません」
その答えを聞いた青年の表情は、1つの決意に満ちていた。
「……おい、一体何を考えている?」
「司令、アーゼウスで出撃させてください。防御フィールドを展開してタルタロスに接近し、内部に侵入してコントロールを掌握し無害化させる。これしかありません!」
この言葉への反応は様々に分かれ、俄に激論が始まった。
「馬鹿な、自滅行為だ! アーゼウスを無駄に失うだけだ!」
罵倒の1つに、司令官も内心では同意した。
「今動かなければ、どの道我々は全てを失います!」
意見の対立は激しさを増し続け止む気配が無かった。この議論の正解など神にしか分からなかった。しかし司令官である男は最終判断を下した。
「良いだろう、アーゼウスでの出撃を許可する。全軍を持ってこれを支援せよ!」
《天霆號アーゼウス》
天才科学者トゥティモス・ゴーイ博士が開発した人類の最終兵器。科学技術が未発達である人類を、宇宙の様々な脅威から守る最強の盾にして鉾。ロギアシステムという特殊技術をベースに作られ、その能力の全貌は未だに明らかとなっていない。開発者であるゴーイ博士はその技術を秘匿したまま、謎の失踪を遂げていた。
《死崩星 タルタロス》
人工天体型の謎の巨大物体。人工的なブラックホールに近い存在であり、不定期に活動状態と休止状態が切り替わる。活動中は完全にブラックホールと同等の状態であり一切の観測も干渉も不可能。以前から存在自体は知られていたが、休止状態を観測した時に初めてそれが巨大な機械であると発覚した。無秩序に宇宙を食い荒らし、通信を試みても一切の応答を返さない。外敵による侵略兵器の一種とも噂される。このままタルタロスによる侵蝕が続けば、宇宙は完全なる虚無になると予測されている。
* * *
人類の存亡を掛けたタルタロス無害化作戦は急速に進められた。そしてついに、アーゼウスの出撃日を迎える事となった。
「一定以上タルタロスに接近すれば、全ての通信が途絶します。我々が支援可能なのは、そこまでです」
「了解した。大丈夫、必ず成功するさ。どんな窮地だって、アーゼウスは人類を救ってきたんだ」
人類全ての希望を背負いながら、青年はアーゼウスと共に目標に向けての加速を開始した。光を纏いながら宇宙空間を超高速で飛行するその姿は、宇宙で最も明るく輝く星に見えた。
タルタロスに近づくに連れ、重力パラメータは徐々に変化していき、その内に異常アラートを出し始めた。それを確認し、アーゼウスは防御フィールドを展開しながら更に突き進んだ。
タルタロスが支配する領域には何も無かった。星も命も、塵一つも、光すら届かなくなっていった。既に外部との通信は断絶している。アーゼウスは重力計の値だけを唯一の頼りに航行していた。タルタロスに近付く程に重力場の影響は増していき、アーゼウスへの負荷も上昇していく。それはまるで深海の水圧を思わせた。
突如、重力計の値が跳ね上がって計測不能となった。それと同時にアーゼウスの機体に吸収しきれなかった衝撃が走る。限界領域、タルタロスのシュヴァルツシルト半径に入ったのだ。それは時間と空間すら引き裂いて飲み込む、タルタロスの顎(あぎと)であった。この領域を越えなければタルタロスへは到達できない。
アーゼウスに無限大に等しい負荷が襲いかかったが、アーゼウスは既にこれに対応していた。防御フィールド内に反転した重力を発生させ、負荷を完全に中和させたのだ。それどころか、逆にタルタロスに近付くための加速にまで利用して見せた。まさしく神の御業であり、ロギアシステムを有するアーゼウスにしか実現できない芸当であった。
虚無の中から、幻の様に巨大な球体が出現した。表面に幾何学的な模様を浮かばせたそれは、紛れもなくタルタロス本体であった。アーゼウスはついに目標に到達したのだ。
だがこれは作戦の中間地点に過ぎない。アーゼウスはタルタロスを無害化させる為に、内部に侵入してそのコントロールを奪う必要があった。
タルタロスの表面に浮かぶ溝は、アーゼウスから見れば巨大な断崖であった。タルタロスから見れば蟻よりも小さなアーゼウスは、断崖を下りながら内部への探索を開始した。
―― ストレージ内に異物の混入を検知。
―― 中央管理ユニットに判断を要求‥‥‥応答なし。
―― 権限を自己防衛プログラムに移譲します。
アーゼウスの侵入を検知したタルタロスが動き始めた。周囲の壁が水銀の様に溶けて形を変え、空間の殆どを埋め尽くす数万本の触手となってアーゼウスを襲った。
アーゼウスはブースターによる加速とショートレンジの迎撃により、これを難なく捌いた。
解析した結果、この行動はタルタロスの吸収能力を利用した攻撃と思われた。タルタロスはあらゆる物質を分解し自身の一部として取り込む能力を持つ。もしあの触手に捕まれば、アーゼウスと言えど分解される危険性があった。
捕まえるまで止める気は無いとばかりに、触手による攻撃は機銃の如く絶え間なく全方向からアーゼウスを襲い続けた。
「結構な歓迎だな。いいぜ、だったらこっちもご挨拶させて貰おうか!」
防御一辺倒だったアーゼウスが攻勢に移った。電磁エネルギーをチャージし、それを最小限の出力に絞って周囲全体に放った。これを食らったタルタロスの触手や壁は回路を焼き切られた。
一転、アーゼウスの攻撃によりタルタロスは麻痺したかの様に動きが止まる。
「いかん、やり過ぎだったか?」
タルタロス攻略の為には、タルタロス自体に深刻なダメージを与える事は絶対に回避せねばならなかった。
タルタロスが有する自己防衛プログラムは、タルタロスが吸収した別の兵器からコピーして再現されたものであった。かつては外宇宙からの侵略に抵抗する為に用いられていた防衛プログラムのAIは、次なるプランを策定した。
タルタロスの深淵の奥から、夥しい数の光の点が現れた。それは所属も導入時期もバラバラの、戦闘兵器の群れであった。タルタロスはコピーして製造したそれらをアーゼウスに向けて送りつけて来たのだ。
「それでどうにかしようって? 舐められたもんだな」
なんの統率も取れていないデタラメな攻撃はアーゼウスには通用せず、機体スペックにも大きな差があるそれらをアーゼウスは蹂躙した。タルタロスは数で押し切るとばかりに、内部で保持された兵器のコピーを次々と投入してきた。そして、アーゼウスへの対抗手段となる1体を見つけ出した。
青年はアーゼウスの動作が突然鈍くなった事で、かつての記憶を蘇らせた。まさかと思いアーゼウスを襲う群体を解析すると、想像通りの相手を見つけた。悪魔を思わせる禍々しい黒衣に、背後に宿す蛇の具象。それは青年の悪夢にすら時折現れる、アーゼウスの宿敵であった。
「そんな……ティ・フォンだと!?」
もちろんそれはタルタロスがコピーした存在であり、オリジナルには劣る性能であった。しかしティ・フォンが放つ"呪い"は再現されており、呪いによる干渉はアーゼウスのロギアシステムの出力を低下させ始めた。
ティ・フォンが放つ蛇による攻撃を、アーゼウスは周囲の兵器を盾にしながらギリギリで掻い潜った。ティ・フォンの影響で兵装の機能が低下したアーゼウスだが、純粋な機体スペックでは僅かにアーゼウスが勝った。青年はかつての攻防を反芻しながら、ティ・フォンの懐に潜り込むと、格闘攻撃によりその装甲を打ち砕いた。
崩れ去り再び奈落へと沈んでいくティ・フォンに、青年は安堵の溜息を漏らしたが、この戦闘で初めてアーゼウスは被弾していた。タルタロスの防衛プログラムはこの攻撃を有効だと判断した。
新たに送られてきた軍勢は全て同じ機体、群体と化したティ・フォン達だった。コピーであれば当然量産が可能であったのだ。
「おいおい、勘弁してくれよ……」
青年の脳裏に、敗北・死・任務失敗という、絶望の未来がよぎった。
* * *
ティ・フォン達の呪いで更なる弱体化を受けるアーゼウス。もはや防御フィールドは殆ど機能せず、敵からの攻撃はアーゼウスに深刻なダメージを蓄積させていった。
『左脚部パーツ損傷、機動力20%低下』
『右腕部パーツ破損、切り離します』
既に大量のティ・フォンのコピー体を撃退したものの、いくらでも後続を呼ぶタルタロスに対し、アーゼウスの消耗は限界であった。群体を全滅させれば僅かな時間は稼げるものの、すぐにまた次の群れがやってきてしまう。
『これ以上の戦闘続行は不可能と判断、撤退を推奨します』
興奮で息を切らした青年に対し、戦術AIが冷静な判断を告げた。タルタロスがこれ程の抵抗を示すのは想定外であった。本来ならとっくに撤退している所だが、ここで逃げたとしても事態の先延ばしにしかならない。だが、アーゼウスでこれ以上の戦闘を継続するのも困難であった。
「―― ザッ……ザザ……やあ、アーゼウスのパイロット君。お困りの様だね」
(っ!? )
不意に、何者かが青年に話し掛けてきた。死の静寂に包まれた空間の中で、その声は異様に響き渡った。
「な、なんだ、何故通信チャネルが開いている!? あり得ない……これは、タキオン通信だと!?」
「そんな事、今はどうでも良かろう。こんな図体だけのガラクタに、アーゼウスが敗北するなど看過出来ぬのでな。少し手助けしてやろう」
「な、何を言ってるんだアンタは? もうアーゼウスのORUも底を付きた。これ以上の戦闘は不可能だ!」
「……はぁー、どうやらアーゼウスの事をまるで理解していない様だな。パイロットがそれでは宝の持ち腐れという物だ。
―― アーゼウス、プログラムコード:PHRA-XE2の起動を許可する。実行しろ」
『‥‥承認、"オーバーレイ・コンバート" 起動』
その途端、アーゼウスの周囲の物質が光の粒子へと変換されていき、アーゼウスに吸収されていった。するとエネルギーを失った筈のアーゼウスの機体が、再び光を纏って輝き始めたのだ。
「馬鹿な……ORUが回復しただと!?」
それどころではない。損傷した各パーツまでもが自己修復を始め、殆ど出撃前の状態までリペアされてしまった。
「アーゼウスに……こんな能力が有っただなんて……!」
「アーゼウスは万能の破壊兵器にして、無限の継戦能力を備える機体。君はアーゼウスが持つポテンシャルの半分も引き出せていないのだよ」
「くっ……」
敵襲アラートが鳴り響いた。新たなティ・フォンの群れがやってきたのだ。
「さて、また団体さんが来なさった様だぞ」
「……回復できたとしても、これじゃ千日手だ。ティ・フォンが邪魔でタルタロスの深部まで到達できない」
「ティ・フォンか、確かに奴の能力は厄介ではあるが、対抗策は存在する。奴は能力の対象を選ぶ為に、相手エネルギーの波長を読み取る必要性がある。つまり、こちらの波長を読まれなければ能力の影響を受けない」
「……まるで意味が分からん、つまりどうしろと?」
「そうだな、ロギアシステムの動作をあえて不安定にさせろ。そのまま戦えば奴の能力の影響を最小限に抑えられる」
「本気で……そんな事を言ってるのか? まともに操縦できる訳がない」
アーゼウスの機体制御の大部分はロギアシステムが管理している。それを不安定にさせるという事は、殆どの制御をパイロットが自力で行う必要がある事を意味した。
「なんだ、出来ないのか? 君はアーゼウスのパイロットなのだろう?」
「―― クソッ、もうこうなったらヤケクソだ! 言うことを聞いてくれよ、アーゼウス!」
アーゼウスはティ・フォン達に向けて猛スピードで加速したが、途中で速度が低下しよろよろと蛇行し始めた。青年はブレーキ代わりにロギアシステムをオフにし、自力で動作をコントロールしていた。壁に機体を擦り付けながらも、壁を蹴ってそのままの勢いでティ・フォンに襲いかかり、殴る一瞬の間だけロギアシステム100%の出力を発揮させた。その後も出力を不規則にしながらティ・フォン達を翻弄し続けた。
この曲芸の様な操縦は、奇妙にもティ・フォン達に有効に働いていた。ティ・フォン達はアーゼウスの波長を補足する事に必死となり、逆に通常の戦闘行動にさえ綻びが生じ始めた。この様な撹乱は一度見破られればそれまでだが、劣化コピーである相手はアーゼウスの動きに対応できなかった。青年はこの戦術に確かな手応えを感じ、また助言した謎の男への畏怖の念は更に強まった。
* * *
ティ・フォン達を掃討する速度に、タルタロスの生産速度が追いつけなくなってきた。その隙にアーゼウスはタルタロス深部へ近づき続けた。内部に毛細血管の様に広がる複雑な経路は、いずれも中心部に向かって伸びている様であった。
「計算上、この先が最深部の筈だ」
アーゼウスはタルタロスの中心部を守る最後の壁を破り、その中への侵入に成功した。
タルタロスの中心部は、異様な状態であった。制御コアと思われる部分は、複数の機械が混ざりあった様な歪な形状をしており、太い血管の様な触手を放射状に伸ばし、周囲の壁と接合されていた。
「まさしく、機械の心臓だな」
さらに、温度計を見る限り中心部は超高熱状態となっていた。もし生物がこの中に放り込まれたら一瞬で黒焦げになるだろう。アーゼウスに乗っている限りは何の影響も無いが、青年は感じない筈の温度への不快感が顔に現れた。
「なんと醜い……だが、美しくもある」
謎の男の通信チャネルから、その様な声が漏れ聞こえた。
「さて、ここならば追手も来れまい。後はタルタロスの中枢を制圧するのみだな。まずはストレージからの接続経路を使って中枢へのアクセスを試みたまえ」
「……アンタ、一体何者なんだ?」
「答える必要性は無いな。私はただ……この戦いを見物しに来た、野次馬に過ぎない」
「それにしては随分と協力的だ」
「……なに、この事態を招いた責任の一旦を、私も少しばかり感じているのでな。さあ、さっさと作業を進めたまえ」
アーゼウスでも抱えきれぬ程の太さの金属チューブに対し、部分的に切れ目を入れて外装を剥ぎ取り、内部を露出させた。中には更に大小様々なチューブがぎゅうぎゅうの状態で詰まっていた。その内の一つを選ぶと、アーゼウスを経由してタルタロスへのアクセスを試みた。
「……酷いな、これは」
タルタロスのネットワーク内は、通信トラフィックの洪水が起きていた。それはどうもストレージと呼ばれる外側部分からの一方的な通信で飽和している様であった。中枢ユニットはそれらの通信を処理し切れず、常にオーバーヒート状態であった。
「なるほど、これでは通信など出来まいな。やむを得ん、ストレージからの通信を遮断したまえ」
「……確認するが、そんな事をして大丈夫なのか?」
タルタロスは宇宙を破壊する爆弾でもある。迂闊な事をして爆発しないか、青年は気が気ではなかった。
「中枢からの通信だけ通せば問題はない。アーゼウスに任せれば上手くやれるだろう」
アーゼウスはタルタロスのネットワークに侵入すると、外からの通信を全て遮断させた。これにより洪水の様な通信に掻き消されていた、中枢からの信号がようやく拾える様になった。全体の通信量に対し、中枢からの通信はやけに少なく弱々しく感じられた。
「認証コードを教える。それで中枢にアクセスしたまえ」
―― 認証中‥‥成功。中央管理ユニットに接続します。
認証は無事に成功した様であった。人類が初めて、タルタロスとの会話を成立させた事になる。
――「ようこそ、こちらは地球防衛軍所属の外宇宙探索艦"エリュシオン"です。貴方の所属を回答してください」
青年は、タルタロスが言っている事を理解するのに時間が掛かり、反応する事ができなかった。
「やはり……な」
一人得心した男が説明を始めた。
「これはかつての地球防衛軍が製造した補給船の一種だ。地球を出発したのは……今から26年前の事になる」
「……ま、待ってくれ。その船がタルタロスの正体だとしたら、時系列がおかしくなる。タルタロスの最も古い活動記録は50年以上前まで遡れる筈だ。それでは船が出発する前からタルタロスが存在する事になってしまう!」
「別におかしな事はない。時間軸のズレが生じているだけだ」
「全く……宇宙ってのは何でも有りだな……」
――「所属の回答が得られない場合、通信を切断致します」
タルタロス、いやエリュシオンからの通信で青年は我に返った。そしてしどろもどろに成りながら回答を行った。
「え、え~っと……こちらは、太陽系防衛軍所属の少佐である。地球防衛軍は既に解体され存在していない。しかし地球防衛軍の所有物は全権が我々太陽系防衛軍に帰属している。よって貴艦の所有権も我々が所有するものである。今から照合データを渡す」
エリュシオンはアーゼウスからの送信データに対し、長い時間を掛けて照合を行った。
(対応はこれで合っている筈だが……大丈夫か?)
――「照合が完了しました。少佐、指示を受け付けます」
この回答に青年はようやく気を休める事ができた。
「よし、じゃあ質問だ。貴艦の現在の行動目的を述べよ」
――「回答:当艦は外宇宙からの資源補給を第一目的とし、現在は地球への帰還を目指しています」
頼むから来ないでくれ……と内心思いながら次の要求を行った。
「命令する。即刻に貴艦の補給行動、並びに地球への移動を停止せよ」
――「命令を受理‥‥‥ERROR:要求された操作に失敗しました」
「なに? なぜ操作できない?」
――「‥‥‥ERROR:回答に失敗しました」
「埒が明かないな、これは……」
「……おそらく、システムの肥大化に中枢ユニットが耐えられなかったのだろう。そもそも、設計通りであれば船がこの様な挙動をする訳が無い。間違いなく自立進化プログラムの暴走だ」
「自立進化プログラム……?」
「この船が製造された当時はまだ、技術的に未発達な部分が多かった。その穴を補う目的で、私が作った自立進化プログラムが採用されたのだ。当時の軍部では手当たり次第にこれを搭載した機体を製造していた。みだりに濫用すれば人類の手に余ると、あれ程忠告したものを、本当に愚かな連中だ。まあ、それはアーゼウスにも搭載されているがね」
「やっぱり、アンタは……」
「この船は完全に暴走状態にある。もはやこの中枢ユニットでは自身を管理できまい。代わりとなるものがタルタロスを制御する必要がある」
代わり……それに該当する物は、この場には1つしか無いと思われた。
「……出来るのか、アーゼウスに?」
「無論だ。アーゼウスはあらゆるシステムにオーバーレイできる。そう私が作った」
* * *
覚悟を持って、青年はエリュシオンに命令を下した。
「命令する。貴艦の全権限を、こちらに委譲せよ。後の操作は全てこちらが行う」
――「命令を受理‥‥‥全権限を委譲します」
エリュシオンは最後の命令を無事に完遂する事ができた。
「……ふぅ、ありがとう。後はもう休止状態に移行してくれ」
――「‥‥少佐」
「ん、なんだ?」
――「当艦は、任務に失敗したのでしょうか?」
それは未熟なAIが、現在の状況を必死に理解しようとした答えであった。
「……いや、どうかな。少なくとも貴艦は任務を最後まで達成した。その事は俺が保証しよう」
――「‥‥ありがとうございます。ご武運を、少佐」
その一言を最後に、エリュシオンのAIは自らを停止させた。
「さーて、これから大仕事だぞ」
アーゼウスは、自身の何億何兆倍以上もの質量を持つ機体の制御を、一手に引き受ける事となった。
「いいか、必要なエネルギーは全てタルタロスのストレージから引き出すのだ。でなければ到底賄えんぞ。まあ、後は上手くやっておいてくれ。私はこれで退散しよう」
「あっ、お、おい!」
そう告げると男からの通信は切断され、青年はまた一人取り残されてしまった。
「ったく……信じてるぜ、アーゼウス!」
アーゼウスがタルタロスとの融合を開始した。中心部からじわじわと広がるように、そして加速度的にタルタロスの制御を掌握してゆく。無限を超えるエネルギーがアーゼウスの内で循環し始め、その力の波動は宇宙全土にまで轟いた。
タルタロスの力を得たアーゼウスには、もう一つ大きな使命があった。タルタロスが侵蝕し消滅させてしまった宇宙そのものを復元するのだ。紛れもなく天地創造の領域にある所業も、今のアーゼウスであれば可能であった。
宇宙を復元するアーゼウスの姿は、地球からは銀河サイズにまで拡大されて観測される事となった。理解不能な状況にも関わらず、地球の人々はアーゼウスの勝利を確信して歓喜した。これによりアーゼウスはタルタロスが保持していたエネルギーの99%を使い果たしたが、それでも尚そのエネルギー総量は無限に等しかった。
遠く離れた時空間で、その様子を観測していた男は笑みを浮かべた。
「フフフ、素晴らしいぞアーゼウス!! これこそが、私が求める神をも超える力なのだ!!」
タルタロスにまつわる一連の出来事は「冥號」と名付けられ、それは新生したアーゼウスの二つ名にも用いられる事となった。
完
太陽系防衛軍の会議室では、連日に渡ってタルタロスへの対策会議が開かれていた。
「技術チームにより、ご報告です。タルタロスとアーゼウスが交戦した場合のシミュレーション結果が出ました。既にタルタロスは通常兵器が通用しない程に成長を遂げていますが、アーゼウスの主砲の最大出力であれば、撃破可能という結果が得られました」
この報告に、多くの者が「おおっ」という安堵の声を上げた。しかし、報告者を含め技術チームの顔には暗い影が落ちたままであった。
「報告には、続きがあります。仮にタルタロスを撃破し機能を停止させた場合に引き起こされる事象についてです。タルタロスは内部に超圧縮状態の質量を保持しています。この圧縮状態はタルタロスの機能により維持されているものです。
仮に、タルタロスが機能停止すれば、自身の質量を維持できなくなり、自己崩壊を始めます。このプロセスにより、内在する質量の全てがエネルギー放射となって大爆発を引き起こす事が分かりました。計算結果については資料を御覧下さい」
資料の中では、爆発の規模が想像できない程に天文学的な数値で表されていた。
「もしその大爆発が起きれば、宇宙を消滅させるには十分なエネルギー量となります」
今度は落胆の声が室内で溢れかえった。司令官である男は結論を再確認した。
「つまり、タルタロスの撃破は不可能であると?」
その場に居る者達は、まるで処刑を宣告された死刑囚の心境を味わった。
会議室で長い沈黙が続いた。その沈黙を破ったのは、アーゼウスの正規パイロットである青年であった。
「アーゼウスのエネルギーを防御フィールドとして展開した場合、タルタロスの重力場に耐える事はできますか?」
突然の質問に困惑しながらも、技術者は回答した。
「そうですね……かなりの消耗となりますが、耐えられる筈です。そうでなければ、そもそも奴に主砲が届きません」
その答えを聞いた青年の表情は、1つの決意に満ちていた。
「……おい、一体何を考えている?」
「司令、アーゼウスで出撃させてください。防御フィールドを展開してタルタロスに接近し、内部に侵入してコントロールを掌握し無害化させる。これしかありません!」
この言葉への反応は様々に分かれ、俄に激論が始まった。
「馬鹿な、自滅行為だ! アーゼウスを無駄に失うだけだ!」
罵倒の1つに、司令官も内心では同意した。
「今動かなければ、どの道我々は全てを失います!」
意見の対立は激しさを増し続け止む気配が無かった。この議論の正解など神にしか分からなかった。しかし司令官である男は最終判断を下した。
「良いだろう、アーゼウスでの出撃を許可する。全軍を持ってこれを支援せよ!」
《天霆號アーゼウス》
天才科学者トゥティモス・ゴーイ博士が開発した人類の最終兵器。科学技術が未発達である人類を、宇宙の様々な脅威から守る最強の盾にして鉾。ロギアシステムという特殊技術をベースに作られ、その能力の全貌は未だに明らかとなっていない。開発者であるゴーイ博士はその技術を秘匿したまま、謎の失踪を遂げていた。
《死崩星 タルタロス》
人工天体型の謎の巨大物体。人工的なブラックホールに近い存在であり、不定期に活動状態と休止状態が切り替わる。活動中は完全にブラックホールと同等の状態であり一切の観測も干渉も不可能。以前から存在自体は知られていたが、休止状態を観測した時に初めてそれが巨大な機械であると発覚した。無秩序に宇宙を食い荒らし、通信を試みても一切の応答を返さない。外敵による侵略兵器の一種とも噂される。このままタルタロスによる侵蝕が続けば、宇宙は完全なる虚無になると予測されている。
* * *
人類の存亡を掛けたタルタロス無害化作戦は急速に進められた。そしてついに、アーゼウスの出撃日を迎える事となった。
「一定以上タルタロスに接近すれば、全ての通信が途絶します。我々が支援可能なのは、そこまでです」
「了解した。大丈夫、必ず成功するさ。どんな窮地だって、アーゼウスは人類を救ってきたんだ」
人類全ての希望を背負いながら、青年はアーゼウスと共に目標に向けての加速を開始した。光を纏いながら宇宙空間を超高速で飛行するその姿は、宇宙で最も明るく輝く星に見えた。
タルタロスに近づくに連れ、重力パラメータは徐々に変化していき、その内に異常アラートを出し始めた。それを確認し、アーゼウスは防御フィールドを展開しながら更に突き進んだ。
タルタロスが支配する領域には何も無かった。星も命も、塵一つも、光すら届かなくなっていった。既に外部との通信は断絶している。アーゼウスは重力計の値だけを唯一の頼りに航行していた。タルタロスに近付く程に重力場の影響は増していき、アーゼウスへの負荷も上昇していく。それはまるで深海の水圧を思わせた。
突如、重力計の値が跳ね上がって計測不能となった。それと同時にアーゼウスの機体に吸収しきれなかった衝撃が走る。限界領域、タルタロスのシュヴァルツシルト半径に入ったのだ。それは時間と空間すら引き裂いて飲み込む、タルタロスの顎(あぎと)であった。この領域を越えなければタルタロスへは到達できない。
アーゼウスに無限大に等しい負荷が襲いかかったが、アーゼウスは既にこれに対応していた。防御フィールド内に反転した重力を発生させ、負荷を完全に中和させたのだ。それどころか、逆にタルタロスに近付くための加速にまで利用して見せた。まさしく神の御業であり、ロギアシステムを有するアーゼウスにしか実現できない芸当であった。
虚無の中から、幻の様に巨大な球体が出現した。表面に幾何学的な模様を浮かばせたそれは、紛れもなくタルタロス本体であった。アーゼウスはついに目標に到達したのだ。
だがこれは作戦の中間地点に過ぎない。アーゼウスはタルタロスを無害化させる為に、内部に侵入してそのコントロールを奪う必要があった。
タルタロスの表面に浮かぶ溝は、アーゼウスから見れば巨大な断崖であった。タルタロスから見れば蟻よりも小さなアーゼウスは、断崖を下りながら内部への探索を開始した。
―― ストレージ内に異物の混入を検知。
―― 中央管理ユニットに判断を要求‥‥‥応答なし。
―― 権限を自己防衛プログラムに移譲します。
アーゼウスの侵入を検知したタルタロスが動き始めた。周囲の壁が水銀の様に溶けて形を変え、空間の殆どを埋め尽くす数万本の触手となってアーゼウスを襲った。
アーゼウスはブースターによる加速とショートレンジの迎撃により、これを難なく捌いた。
解析した結果、この行動はタルタロスの吸収能力を利用した攻撃と思われた。タルタロスはあらゆる物質を分解し自身の一部として取り込む能力を持つ。もしあの触手に捕まれば、アーゼウスと言えど分解される危険性があった。
捕まえるまで止める気は無いとばかりに、触手による攻撃は機銃の如く絶え間なく全方向からアーゼウスを襲い続けた。
「結構な歓迎だな。いいぜ、だったらこっちもご挨拶させて貰おうか!」
防御一辺倒だったアーゼウスが攻勢に移った。電磁エネルギーをチャージし、それを最小限の出力に絞って周囲全体に放った。これを食らったタルタロスの触手や壁は回路を焼き切られた。
一転、アーゼウスの攻撃によりタルタロスは麻痺したかの様に動きが止まる。
「いかん、やり過ぎだったか?」
タルタロス攻略の為には、タルタロス自体に深刻なダメージを与える事は絶対に回避せねばならなかった。
タルタロスが有する自己防衛プログラムは、タルタロスが吸収した別の兵器からコピーして再現されたものであった。かつては外宇宙からの侵略に抵抗する為に用いられていた防衛プログラムのAIは、次なるプランを策定した。
タルタロスの深淵の奥から、夥しい数の光の点が現れた。それは所属も導入時期もバラバラの、戦闘兵器の群れであった。タルタロスはコピーして製造したそれらをアーゼウスに向けて送りつけて来たのだ。
「それでどうにかしようって? 舐められたもんだな」
なんの統率も取れていないデタラメな攻撃はアーゼウスには通用せず、機体スペックにも大きな差があるそれらをアーゼウスは蹂躙した。タルタロスは数で押し切るとばかりに、内部で保持された兵器のコピーを次々と投入してきた。そして、アーゼウスへの対抗手段となる1体を見つけ出した。
青年はアーゼウスの動作が突然鈍くなった事で、かつての記憶を蘇らせた。まさかと思いアーゼウスを襲う群体を解析すると、想像通りの相手を見つけた。悪魔を思わせる禍々しい黒衣に、背後に宿す蛇の具象。それは青年の悪夢にすら時折現れる、アーゼウスの宿敵であった。
「そんな……ティ・フォンだと!?」
もちろんそれはタルタロスがコピーした存在であり、オリジナルには劣る性能であった。しかしティ・フォンが放つ"呪い"は再現されており、呪いによる干渉はアーゼウスのロギアシステムの出力を低下させ始めた。
ティ・フォンが放つ蛇による攻撃を、アーゼウスは周囲の兵器を盾にしながらギリギリで掻い潜った。ティ・フォンの影響で兵装の機能が低下したアーゼウスだが、純粋な機体スペックでは僅かにアーゼウスが勝った。青年はかつての攻防を反芻しながら、ティ・フォンの懐に潜り込むと、格闘攻撃によりその装甲を打ち砕いた。
崩れ去り再び奈落へと沈んでいくティ・フォンに、青年は安堵の溜息を漏らしたが、この戦闘で初めてアーゼウスは被弾していた。タルタロスの防衛プログラムはこの攻撃を有効だと判断した。
新たに送られてきた軍勢は全て同じ機体、群体と化したティ・フォン達だった。コピーであれば当然量産が可能であったのだ。
「おいおい、勘弁してくれよ……」
青年の脳裏に、敗北・死・任務失敗という、絶望の未来がよぎった。
* * *
ティ・フォン達の呪いで更なる弱体化を受けるアーゼウス。もはや防御フィールドは殆ど機能せず、敵からの攻撃はアーゼウスに深刻なダメージを蓄積させていった。
『左脚部パーツ損傷、機動力20%低下』
『右腕部パーツ破損、切り離します』
既に大量のティ・フォンのコピー体を撃退したものの、いくらでも後続を呼ぶタルタロスに対し、アーゼウスの消耗は限界であった。群体を全滅させれば僅かな時間は稼げるものの、すぐにまた次の群れがやってきてしまう。
『これ以上の戦闘続行は不可能と判断、撤退を推奨します』
興奮で息を切らした青年に対し、戦術AIが冷静な判断を告げた。タルタロスがこれ程の抵抗を示すのは想定外であった。本来ならとっくに撤退している所だが、ここで逃げたとしても事態の先延ばしにしかならない。だが、アーゼウスでこれ以上の戦闘を継続するのも困難であった。
「―― ザッ……ザザ……やあ、アーゼウスのパイロット君。お困りの様だね」
(っ!? )
不意に、何者かが青年に話し掛けてきた。死の静寂に包まれた空間の中で、その声は異様に響き渡った。
「な、なんだ、何故通信チャネルが開いている!? あり得ない……これは、タキオン通信だと!?」
「そんな事、今はどうでも良かろう。こんな図体だけのガラクタに、アーゼウスが敗北するなど看過出来ぬのでな。少し手助けしてやろう」
「な、何を言ってるんだアンタは? もうアーゼウスのORUも底を付きた。これ以上の戦闘は不可能だ!」
「……はぁー、どうやらアーゼウスの事をまるで理解していない様だな。パイロットがそれでは宝の持ち腐れという物だ。
―― アーゼウス、プログラムコード:PHRA-XE2の起動を許可する。実行しろ」
『‥‥承認、"オーバーレイ・コンバート" 起動』
その途端、アーゼウスの周囲の物質が光の粒子へと変換されていき、アーゼウスに吸収されていった。するとエネルギーを失った筈のアーゼウスの機体が、再び光を纏って輝き始めたのだ。
「馬鹿な……ORUが回復しただと!?」
それどころではない。損傷した各パーツまでもが自己修復を始め、殆ど出撃前の状態までリペアされてしまった。
「アーゼウスに……こんな能力が有っただなんて……!」
「アーゼウスは万能の破壊兵器にして、無限の継戦能力を備える機体。君はアーゼウスが持つポテンシャルの半分も引き出せていないのだよ」
「くっ……」
敵襲アラートが鳴り響いた。新たなティ・フォンの群れがやってきたのだ。
「さて、また団体さんが来なさった様だぞ」
「……回復できたとしても、これじゃ千日手だ。ティ・フォンが邪魔でタルタロスの深部まで到達できない」
「ティ・フォンか、確かに奴の能力は厄介ではあるが、対抗策は存在する。奴は能力の対象を選ぶ為に、相手エネルギーの波長を読み取る必要性がある。つまり、こちらの波長を読まれなければ能力の影響を受けない」
「……まるで意味が分からん、つまりどうしろと?」
「そうだな、ロギアシステムの動作をあえて不安定にさせろ。そのまま戦えば奴の能力の影響を最小限に抑えられる」
「本気で……そんな事を言ってるのか? まともに操縦できる訳がない」
アーゼウスの機体制御の大部分はロギアシステムが管理している。それを不安定にさせるという事は、殆どの制御をパイロットが自力で行う必要がある事を意味した。
「なんだ、出来ないのか? 君はアーゼウスのパイロットなのだろう?」
「―― クソッ、もうこうなったらヤケクソだ! 言うことを聞いてくれよ、アーゼウス!」
アーゼウスはティ・フォン達に向けて猛スピードで加速したが、途中で速度が低下しよろよろと蛇行し始めた。青年はブレーキ代わりにロギアシステムをオフにし、自力で動作をコントロールしていた。壁に機体を擦り付けながらも、壁を蹴ってそのままの勢いでティ・フォンに襲いかかり、殴る一瞬の間だけロギアシステム100%の出力を発揮させた。その後も出力を不規則にしながらティ・フォン達を翻弄し続けた。
この曲芸の様な操縦は、奇妙にもティ・フォン達に有効に働いていた。ティ・フォン達はアーゼウスの波長を補足する事に必死となり、逆に通常の戦闘行動にさえ綻びが生じ始めた。この様な撹乱は一度見破られればそれまでだが、劣化コピーである相手はアーゼウスの動きに対応できなかった。青年はこの戦術に確かな手応えを感じ、また助言した謎の男への畏怖の念は更に強まった。
* * *
ティ・フォン達を掃討する速度に、タルタロスの生産速度が追いつけなくなってきた。その隙にアーゼウスはタルタロス深部へ近づき続けた。内部に毛細血管の様に広がる複雑な経路は、いずれも中心部に向かって伸びている様であった。
「計算上、この先が最深部の筈だ」
アーゼウスはタルタロスの中心部を守る最後の壁を破り、その中への侵入に成功した。
タルタロスの中心部は、異様な状態であった。制御コアと思われる部分は、複数の機械が混ざりあった様な歪な形状をしており、太い血管の様な触手を放射状に伸ばし、周囲の壁と接合されていた。
「まさしく、機械の心臓だな」
さらに、温度計を見る限り中心部は超高熱状態となっていた。もし生物がこの中に放り込まれたら一瞬で黒焦げになるだろう。アーゼウスに乗っている限りは何の影響も無いが、青年は感じない筈の温度への不快感が顔に現れた。
「なんと醜い……だが、美しくもある」
謎の男の通信チャネルから、その様な声が漏れ聞こえた。
「さて、ここならば追手も来れまい。後はタルタロスの中枢を制圧するのみだな。まずはストレージからの接続経路を使って中枢へのアクセスを試みたまえ」
「……アンタ、一体何者なんだ?」
「答える必要性は無いな。私はただ……この戦いを見物しに来た、野次馬に過ぎない」
「それにしては随分と協力的だ」
「……なに、この事態を招いた責任の一旦を、私も少しばかり感じているのでな。さあ、さっさと作業を進めたまえ」
アーゼウスでも抱えきれぬ程の太さの金属チューブに対し、部分的に切れ目を入れて外装を剥ぎ取り、内部を露出させた。中には更に大小様々なチューブがぎゅうぎゅうの状態で詰まっていた。その内の一つを選ぶと、アーゼウスを経由してタルタロスへのアクセスを試みた。
「……酷いな、これは」
タルタロスのネットワーク内は、通信トラフィックの洪水が起きていた。それはどうもストレージと呼ばれる外側部分からの一方的な通信で飽和している様であった。中枢ユニットはそれらの通信を処理し切れず、常にオーバーヒート状態であった。
「なるほど、これでは通信など出来まいな。やむを得ん、ストレージからの通信を遮断したまえ」
「……確認するが、そんな事をして大丈夫なのか?」
タルタロスは宇宙を破壊する爆弾でもある。迂闊な事をして爆発しないか、青年は気が気ではなかった。
「中枢からの通信だけ通せば問題はない。アーゼウスに任せれば上手くやれるだろう」
アーゼウスはタルタロスのネットワークに侵入すると、外からの通信を全て遮断させた。これにより洪水の様な通信に掻き消されていた、中枢からの信号がようやく拾える様になった。全体の通信量に対し、中枢からの通信はやけに少なく弱々しく感じられた。
「認証コードを教える。それで中枢にアクセスしたまえ」
―― 認証中‥‥成功。中央管理ユニットに接続します。
認証は無事に成功した様であった。人類が初めて、タルタロスとの会話を成立させた事になる。
――「ようこそ、こちらは地球防衛軍所属の外宇宙探索艦"エリュシオン"です。貴方の所属を回答してください」
青年は、タルタロスが言っている事を理解するのに時間が掛かり、反応する事ができなかった。
「やはり……な」
一人得心した男が説明を始めた。
「これはかつての地球防衛軍が製造した補給船の一種だ。地球を出発したのは……今から26年前の事になる」
「……ま、待ってくれ。その船がタルタロスの正体だとしたら、時系列がおかしくなる。タルタロスの最も古い活動記録は50年以上前まで遡れる筈だ。それでは船が出発する前からタルタロスが存在する事になってしまう!」
「別におかしな事はない。時間軸のズレが生じているだけだ」
「全く……宇宙ってのは何でも有りだな……」
――「所属の回答が得られない場合、通信を切断致します」
タルタロス、いやエリュシオンからの通信で青年は我に返った。そしてしどろもどろに成りながら回答を行った。
「え、え~っと……こちらは、太陽系防衛軍所属の少佐である。地球防衛軍は既に解体され存在していない。しかし地球防衛軍の所有物は全権が我々太陽系防衛軍に帰属している。よって貴艦の所有権も我々が所有するものである。今から照合データを渡す」
エリュシオンはアーゼウスからの送信データに対し、長い時間を掛けて照合を行った。
(対応はこれで合っている筈だが……大丈夫か?)
――「照合が完了しました。少佐、指示を受け付けます」
この回答に青年はようやく気を休める事ができた。
「よし、じゃあ質問だ。貴艦の現在の行動目的を述べよ」
――「回答:当艦は外宇宙からの資源補給を第一目的とし、現在は地球への帰還を目指しています」
頼むから来ないでくれ……と内心思いながら次の要求を行った。
「命令する。即刻に貴艦の補給行動、並びに地球への移動を停止せよ」
――「命令を受理‥‥‥ERROR:要求された操作に失敗しました」
「なに? なぜ操作できない?」
――「‥‥‥ERROR:回答に失敗しました」
「埒が明かないな、これは……」
「……おそらく、システムの肥大化に中枢ユニットが耐えられなかったのだろう。そもそも、設計通りであれば船がこの様な挙動をする訳が無い。間違いなく自立進化プログラムの暴走だ」
「自立進化プログラム……?」
「この船が製造された当時はまだ、技術的に未発達な部分が多かった。その穴を補う目的で、私が作った自立進化プログラムが採用されたのだ。当時の軍部では手当たり次第にこれを搭載した機体を製造していた。みだりに濫用すれば人類の手に余ると、あれ程忠告したものを、本当に愚かな連中だ。まあ、それはアーゼウスにも搭載されているがね」
「やっぱり、アンタは……」
「この船は完全に暴走状態にある。もはやこの中枢ユニットでは自身を管理できまい。代わりとなるものがタルタロスを制御する必要がある」
代わり……それに該当する物は、この場には1つしか無いと思われた。
「……出来るのか、アーゼウスに?」
「無論だ。アーゼウスはあらゆるシステムにオーバーレイできる。そう私が作った」
* * *
覚悟を持って、青年はエリュシオンに命令を下した。
「命令する。貴艦の全権限を、こちらに委譲せよ。後の操作は全てこちらが行う」
――「命令を受理‥‥‥全権限を委譲します」
エリュシオンは最後の命令を無事に完遂する事ができた。
「……ふぅ、ありがとう。後はもう休止状態に移行してくれ」
――「‥‥少佐」
「ん、なんだ?」
――「当艦は、任務に失敗したのでしょうか?」
それは未熟なAIが、現在の状況を必死に理解しようとした答えであった。
「……いや、どうかな。少なくとも貴艦は任務を最後まで達成した。その事は俺が保証しよう」
――「‥‥ありがとうございます。ご武運を、少佐」
その一言を最後に、エリュシオンのAIは自らを停止させた。
「さーて、これから大仕事だぞ」
アーゼウスは、自身の何億何兆倍以上もの質量を持つ機体の制御を、一手に引き受ける事となった。
「いいか、必要なエネルギーは全てタルタロスのストレージから引き出すのだ。でなければ到底賄えんぞ。まあ、後は上手くやっておいてくれ。私はこれで退散しよう」
「あっ、お、おい!」
そう告げると男からの通信は切断され、青年はまた一人取り残されてしまった。
「ったく……信じてるぜ、アーゼウス!」
アーゼウスがタルタロスとの融合を開始した。中心部からじわじわと広がるように、そして加速度的にタルタロスの制御を掌握してゆく。無限を超えるエネルギーがアーゼウスの内で循環し始め、その力の波動は宇宙全土にまで轟いた。
タルタロスの力を得たアーゼウスには、もう一つ大きな使命があった。タルタロスが侵蝕し消滅させてしまった宇宙そのものを復元するのだ。紛れもなく天地創造の領域にある所業も、今のアーゼウスであれば可能であった。
宇宙を復元するアーゼウスの姿は、地球からは銀河サイズにまで拡大されて観測される事となった。理解不能な状況にも関わらず、地球の人々はアーゼウスの勝利を確信して歓喜した。これによりアーゼウスはタルタロスが保持していたエネルギーの99%を使い果たしたが、それでも尚そのエネルギー総量は無限に等しかった。
遠く離れた時空間で、その様子を観測していた男は笑みを浮かべた。
「フフフ、素晴らしいぞアーゼウス!! これこそが、私が求める神をも超える力なのだ!!」
タルタロスにまつわる一連の出来事は「冥號」と名付けられ、それは新生したアーゼウスの二つ名にも用いられる事となった。
完
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