日没の時　作：ガーベージ・ドーロ

「す、すごい……」

　あの青眼の白龍デッキ相手に鮮やかな逆転勝利を収めた少年を見て、少女はそのような感想を漏らすことしかできなかった。少年は小さく息を吐くと、少女を一瞥すらせず、まるでその場に自分以外の何者も存在しないかのようにその場を立ち去ろうとする。
　当然のことながら、少女は少年を呼び止めようとした。助けてもらった礼を伝えることもそうだが、何より少女は未知のカードや召喚法を駆使するこの少年デュエリストのことを知りたい、と思うようになっていたのだ。

「あの、助けてくれてありがとう！ 私は細波 遊宇（さざなみ ゆう）！ あなたの名前は……」
「無謀なだけならともかく、それに加えて無知とは本当に救いようがないな」

　少女こと遊宇を右手で制し、少年は遊宇を睨みつける。その少年の眼には怒りと憐れみという二つの相反する感情が渦巻いていた。

「お前が今名乗ったものはその名前からして本名だろう。 仮想空間において本名を公にするということは現実での特定に繋がる」
「あっ」
「そのためにハンドルネームというのが存在する。お前のような人間にこのネットワークの世界は向いていない」

　そう言うと少年は手から放った炎の弾丸で虚空に風穴を開ける。風穴からは文字通り風の吹くような音が響き渡り、近づくものを吸い込もうと大口を開けていた。

「今この世界はログアウトすら確実にできない状況にある。だからここからログアウトできるようにした。命が惜しければとっとと去れ」
「待って！ あなたは、あなたはどうするの！」
「他人の心配よりも自分の心配をするんだな」

　そう言って少年は遊宇の手を掴むと、無造作に彼女を風穴へ向かって放り投げた。現実ではできないことでも簡単に行えてしまうのが仮想空間だ。その華奢な身体からは想像もできないようなパワーで少年は遊宇を風穴へと放り込む。

「せ、せめて！ せめてあなたのハンドルネームをっ！！」
「……Sunset。俺からお前に言うのはそれだけだ」

　Sunset、日本語で日没を意味するその言葉だけが遊宇の脳裏に刻み込まれた。そして彼女が次に目を覚ましたのは現実の世界だった。目の前に広がるのは使い込まれたコンピューターのディスプレイが輝いているだけの真っ暗な世界。そんな真っ暗な世界において遊宇は一人天を仰いだ。

「Sunset……私のことを気遣ってくれたのかな。でも、ごめんね。私はこのウェイブレット・ネットワークから離れることはできないし、離れてはいけないの」

　ウェイブレット・ネットワーク。それは十年ほど前から稼働した仮想空間であり、いつどんな時でも世界中のあらゆるデュエリストとデュエルが行うことができる世界。新進気鋭のIT企業・ウェイブレット社によって作り上げられたそれは瞬く間に広がり、最盛期では数千万人の登録者を誇っていた。この仮想空間の発展により、デュエルモンスターズは紙のカードではなくデータで行われるようになったと言っても過言ではないだろう。
　しかし、今現在のウェイブレット・ネットワークにその時の盛り上がりはなく、人々はその世界を嫌悪するようになっていた。あの凄惨な事件は人々を仮想空間から現実に引き戻した。廃墟と化したウェイブレット・ネットワークはそうやすやすと立ち入れる世界ではなくなっており、それこそ立ち入れるのは特別な技術を持ったハッカーか、ウェイブレット・ネットワークの設立や運営に関わっていた一部の技術者だけになっていた。

「待っててね、遊華（ゆか）。お姉ちゃんがきっと助けてあげるから」

　遊宇の視線の先には一人の笑顔の可愛らしい少女の写真が飾られていた。