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プロローグ2 日常 作:かにみそ
マッド・ロブスター引き上げ量大幅減少 過去5年で最低か
『凶悪な味が刺激的』で有名な高級食材、マッド・ロブスター。
その今年の国内引き上げ数が例年の約6000匹を下回り、約3000匹である事が氷結界海洋庁(IOA)漁業委員会によって公表された。
マッド・ロブスターは北東の寒流から流れるプランクトンを食べるため、寒流域に多く生息している。
氷結界ゴギガ州ガガギゴ区の漁師であるR・K氏によると「今年はマッド・ロブスターの餌であるプランクトンが減少している。去年も不調であったが、今年ほどではない。こんな事は今まで(漁業を)やってきて、無かった。」と語っている。
IOA漁業委員会は、北東の炎の国々の内戦が過激化し、そこで使用する軍機廃油や、海戦の際に火計で使用する油などが原因と見て調査を続け―――
(何だよこれ。ただのトバっちりじゃん…。)
早朝、雪が深々と積もる小さな公園。
その公園へ訪れる者は少なく、辺りには降る雪以外に動くものは無い。
そんな中、公園のベンチに座る一人の白髪の少年が、白いため息を吐きながら顔を上げた。
11、2歳位のその少年は、極寒の地にふさわしい見事な厚着である。マフラーに手袋、4重5重に重ねた服を羽織っており、顔以外はむしろ暑いのではないか、といった具合の重装備であった。
手には一冊の本。
少年のズボンのポケットにも収まるサイズのそれは、ここ数日の国内外の出来事をまとめた、氷結界聞集(ブンシュウ)と呼ばれるものであった。
定期的に発行される物で、氷結界に関する情報を知る数少ない方法の一つである。
(たしかに軍機廃油が原因という可能性は無くは無いけど、そんな大量に垂れ流している訳でもあるまいし…。)
(最近、紅蓮地帯の国とこの国は関係が良くない気がする。特に「フレムベル」か。)
(紅蓮地帯との戦争を国民に促してるって事かなぁ。だとすると母さんや“アイツ”母親も……うぅ~ん)
「なんだかなぁ…。」
「何?どうしたの?」
「ッ?!うおぁ!!…びっくりしたぁ、お前かよ。」
聞集を読む事を中断し、あれやこれやと少年が考えているうちに、一人の少女が満面の笑みで隣に座っていた。
赤色のウェーブが掛かった髪を左右で均等に結んでおり、少年よりも背は劣るが、同年代といったところである。
しかし、特筆すべきはその服の薄さ。―――いや、スケスケという意味ではない。「この寒さにしては薄着すぎる」という意味だ。
別段、露出度の高い服を着ている訳ではないが、脇腹や肩など、所々に肌色が見える部分がある。にもかかわらず少女は、鳥肌どころか寒がる様子すら微塵にもない。
厚着の少年と肩を並べると、何とも珍妙な光景の完成である。
ただ、この光景も“氷結界”では珍しい事ではなかった。
何のことは無い。氷結界は古来より伝わる魔法として保温魔法が存在し、それで少女は体温を保っているのだ。
これが唱えられないと、少年のように無駄に着込まなければならず、戦での身動きが取り辛くなる。
その分、常に魔力を消費する。が、メリットの方が断然大きい。
氷結界の民にとっては、幼少から唱えられて当然、8歳で常識レベルなのだが――少年は才に恵まれていなかった。
「だぁああ、心臓に悪いんだよ!音もなく近づいてくるなとあれだけいっただろ?!。」
「そんなつもりないもん。《アバンス》が気づいてなかっただけでしょ?
…それで、何やって――あーぁ、また“それ”なの?」
少女が心底煙たそうな顔をして指を差した“それ”は、無論「氷結界聞集」である。
そう、少年《アバンス》がここで聞集を読むのは一度や二度の事ではない。
初めは軍人の母に、「自国のことぐらい、人並みには知っておきなさい。」と勧められて渋々――といったところであった。
が、意外にも彼の性に合ったのか、止めるに止められず癖として残ったのか…。
いずれにせよ、毎朝早めに起床し、目覚まし代わりの散歩の一環として、この静かな公園で近日の情報を得るのは彼の習慣になっていた。
だが、この習慣には邪魔が入ることがある。
4日に1度位のペースで、アバンスの目の前の少女――《エミリア》が突入してくるのである。
エミリアとアバンスは家が近くにあり、尚且つ彼らの母親同士が親友兼同僚のため、幼少の頃からの付き合いである。
そんな環境と、根っこからの性格も合ってか、エミリアはアバンスに対して遠慮が皆無。
毎度の如く聞集の蔑みから始まり、世間話へと話題が逸れていき――といった具合に、彼女は長時間喋る。喋る喋る。
読書なぞ、1ページ進める事すら困難である。
無論、アバンスはエミリアの部下でも従者でも奴隷でもない。
拒絶し突き放すことも可能であり、そもそも公園で本を読まなければ彼女と会う事もないだろう。
彼がそれらをしない理由は、彼女との談笑が嫌いではなかったから……かもしれない。
しかし、物事を無理矢理中断させられる事は嫌いであった。
「そうだよ、また聞集だ。こんなの読んでる奴と話しても、面白くもなんともないだろ?ほらさっさと帰れ。」
「うん、面白くないよ。でもカナブンに向かって話すよりはマシだもん。私はそこまで落ちぶれてないよ?」
「比較対象おかしいだろ、カナブンて。さすがの俺でもグサッとくるかもしれないぞ。」
「ふふふ、カナブンだけに?」
「どこが“だけに”なんだ?お前の家のカナブンはメンタル弱いのか。」
「昨日、お母さんの魔術研究を手伝ってる時に、カナブンを――」
「ああ、比喩じゃなく文字通りグサッと、ね。」
などと会話のドッヂボールを堪能しつつ、アバンスは聞集の目次の欄をのぞき、記事のタイトルを見始めた。
エミリアの会話を止める術を知らない彼は、諦めて自宅へ彼女を招待し、話を聞かざるを得ない。
無視して読みなおそうとすれば一時的な効果はあるが、次第に彼女が拗ねて、余計に読めなくなる――というのも理由の一つだが、最大の理由は何より“寒い”。寒いのである。
聞集の読書より時間の掛かるエミリアとの談笑を、こんな寒い中で繰り広げる余裕は、彼には無い。
その裏付けを象徴するのが、彼の見事なまでの厚着であり、
だからこそ彼女を、早急に暖かな家までお招きせねばならないのである。
今、彼が目次の記事タイトルを把握する理由は、大事な時間を邪魔立てされたことへの、せめてもの抵抗であった。
「――それでね、その国では《レッド・ドラゴン》の別名があるんだよ~!」
「……んー。」
「ねぇねぇ、なんだと思う!?」
「………ん~、あぁ~。」
「ねぇちょっと、アバンス!話聞いてる?」
「あー、…ごめんちょっと待て。」
「んぅ~、折角久々に会えたのに。確かに押しかけた私も悪いけど…。」
「自覚あったんだな…。それ直してくれよ、頼むから。」
「考えとく!」
「…。」
「…。」
――よし、3秒限りの沈黙タイムだ。ここで目次だけでも網羅しなければ!
そう思ったアバンスは全神経を眼球にそそぎ、ひたすら記事タイトルを記憶する。
アンカーランナーの如くラッシュを掛ける彼の眼は、ラストスパートの名を冠するにふさわしい動きであった。
「……。」
「……。」
「…で、レッド・ドラゴンだけど、なんだと思う?」
「……っ」
(くっ、予定よりも喋りだすのが早い!)
などと冷や汗を垂らしつつも、彼は目の動きを止めるつもりはなかった。
(あれ、この記事は…。)
が、あくまで「止めるつもりはなかった」だけである。
あれだけ忙しく動いていた眼球が今や、一つの見出しに釘付けになっていた。
「うわ、無視しないでよ。『チョット待て』って言われたから待ってあげたのに~。」
「…本当にチョットだったな。」
「あれ?今度は返答があった!……あー、なるほど!もしかしてアバンス、レッド・ドラゴンが嫌いなの?
ごめんね、嫌いな奴の話振っちゃって。」
「どうしてそうなった。どうでもいい話だから流してただけだよ。――そんなことはともかく、この記事見てみろ。」
「ど、『どうでもいい』って……。まぁいいや、何なに~?」
「エミリアは普段聞集読まないけど、この記事については分かる部分もあるんじゃないか?」
「『あの悪夢から半月 X-セイバー、新・総剣指令は《ガトムズ》』……“悪夢”って、隕石の奴?」
そう聞くエミリアの声色は、とてもどうでも良さそうである。
「そうなんだけど、お前関心なさそうだなぁ…。
集落一つが下敷きになったんだぞ?ちょっとはヤバいと思わないのか?」
「えぇ~?だってX-セイバーのいる“セイバー領”はここから遠いじゃん。現実味がないって!」
「遠くないよ、すぐ隣だぞ?」
「あれれ?そうだっけ?」
そういってエミリアは小首をかしげたが、特に真剣に考えているわけでもなさそうだった。
(はぁ…こいつ、大陸の事情に無関心だからなぁ…。)
などとアバンスは苦笑しつつ、自宅に向かうついでとして手短に話すとしよう、と思い立つのだった。
――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ―――
遥か昔から続くこの『大陸』の大戦は、下火になることは決してなかった。
寧ろその炎は、より一層激しく燃え盛っているようであった。
同種族の人間でさえ争いが絶えないというのに、異種族の獣人や龍人などは以ての外。
人々は時に団結し、時に裏切り裏切られ、時に滅び、また団結し――と、逃げられぬ渦の中を藻掻いていた。
数々の勢力が滅亡と誕生を繰り返していくうち、いつしか人々は、争いの火種となったものがなんだったのか――そんな事すら忘れていく。
それだけ長い長い間、互いに潰し合い、殺し合い、憎しみ合ってきたのである。
そんな中アバンス達が生まれた“氷結界”は、大陸の最南端を占める大国である。
主な在住種族は人間族、現存する勢力の中で最も長く栄えている国であり、国の大半が氷河に覆われている。
南は豊富な海産物が獲れる海洋に面しており、隣接するのは、溶岩と活火山が大部分を占める北東の“紅蓮地帯”、空に浮かぶ岩――浮遊岩と温和な平原が存在する真北の“ナチュルの森”。
そしてさらに北には広大な山脈地帯と湿地帯が存在し、そこは“霞の谷(ミスト・バレー)”と呼ばれている。
“それ”が起こったのは、北東の紅蓮地帯でも真北のナチュルの森でもない。
氷結界から見て北西に隣接し、ナチュルの森からは西に隣接する、金属生命体「ジェネクス」の生息地――通称“セイバー領”とよばれる地帯だった。
そこは元々、氷結界とは比べ物にならないほどの小勢力が点々としていた無法地帯であった。
勢力と言えば聞こえはいいが、ほとんどの勢力の規模は非常に乏しく、『集団』と言った方が良いかもしれない。
その中の最大勢力が『X-セイバー』である。
総剣指令《ソウザ》を筆頭とする傭兵集団で、兵こそ少ないものの優秀な将達が指揮を執り、急速に領土を広げていった。
そんな彼らが、紅蓮地帯や氷結界などの地帯外の全勢力と、「セイバー領不可侵条約」を勝手に取り付けたのが、“セイバー領”と呼ばれる所以である。
ジェネクス領不可侵条約とは、簡潔的に言えば「領外の国家が、X-セイバーこそジェネクス生息地の支配国家に相応しいと認め、“内戦”が終結するまで、ジェネクス生息地に干渉しない。」―――というものである。
勿論この条約を結ぶために、X-セイバーが大国に数々の貢物をしてきたのは言うまでもない。
何はともあれ、この条約のおかげで、X-セイバー以外の小勢力は、セイバー領の外からの援護を取り付ける事が出来なくなってしまったのだ。
無論、領内で反X-セイバー連合が結成されたが、元々一枚岩ではないためか、X-セイバー軍の勢いを止めることはできない。
反X-セイバー軍の獣人族を取り仕切る《ガラハド》は忍耐力のない将で、軍内で最も現状に痺れを切らしていた。
そして、ついに半月前、連合兵の一部を勝手に拝借し、X-セイバーに属する警護の薄い市街地に夜襲を仕掛けたのである。
結果的に言えば夜襲は成功。連合軍は見事、兵糧の源の一つを確保した。
―――かに見えたが、それを奪還すべく、X-セイバーの総剣指令直属部隊が駆けつける。
ガラハド軍の数は約1000。対し、その部隊は500余りであった。
にも拘らず、ガラハド軍は一気に衰弱。敗因は士気の低さと将の統率力である。
そして、X-セイバーの老将《パシウル》がガラハドを抑え込んだ時、―――“それ”は落ちて来たのだった。
――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ―――
「で、そこで隕石が降ってきたの?」
「そうそう。直径半町あまりの隕石が、街のど真ん中に降ってきたらしい。」
「半町?!…えぇ~?意外とちっさいじゃん。そんなので街がボロボロになったの?」
信じらんないなぁと、エミリアは湯呑を上げつつ、ジト目でアバンスを睨みつける。
半町とは約55mのことである。彼女が疑うのも無理はない。
「お、俺に言われても…。実際に見たわけじゃあないし。」
「じゃ、やっぱり嘘吐いてたんだよ、X-セイバーが!
…こういうの何て言うんだっけ?「グッチあげ」?」
「何だそれは。「でっち上げ」だろ。
――まあ、大きさはどうか知らないけど、一瞬で街1つがボロボロになった事は本当だと思う、うん。
聞集には衝撃波がどうのこうの…って書いてたけど。」
ここはアバンスが母と共に暮らす家。
定石通り、彼はエミリアを招き入れる事になったわけである。
アバンスの父は彼が幼少の時戦死し、母は仕事で、こちらも家にいることは滅多に無い。
だからといって子供をほっぽり出す親ではなく、休暇にはきちんと息子を気にかけていた。
エミリアも同様の家庭であり、二人は多忙な母達を、家事を請け負う事で支えていた。
そして、今回も今回とて家にいるのは二人のみである。
エミリアが来る日は、リビングにて床に座り、お茶を飲みつつ談笑するのがお決まりになっていた。
「そうかなぁ…。ホントにそうだったとしたら、可哀そうだけど。」
「お前他人事って感じだなぁ…。もしここに降ってきたら恐ろしいとか思わないのか?」
「う~ん、確かにそう考えると恐いけど、ホントに他人事なんだもん。
アバンスこそなんでそんなに恐がってるの?」
「俺か?別に、恐いわけでは……」
「一か月前の隕石の記事でもそんな感じだったよね~。何か焦ったような顔してさ。
他の記事だと平気なのに。あっもしかして……アバンスって隕石恐怖症ってやつ?」
「そ、そんな病気あるわけが……無いと思うけど…。」
ずいっ、と、やはりジト目で迫るエミリアに対して、アバンスは言葉が詰まる。
思い起こしてみると、確かに何故だろうか。
アバンスは、時事的な出来事にあまり感情移入しない方である。
マッド・ロブスターの件でも、戦争に赴く母を心配することはあっても、イメージダウンを受けた紅蓮地帯の国や、不漁で愚痴る漁師に同情する事は無かった。
なのに今回の隕石の件では、言い知れぬ不安が拭えないのだ。
(この大陸ではここ数百年間、隕石が降ったことはない。ましてや、連続して隕石が降るという事もないはず…。)
(だというのに、この感じはなんだろう?)
そうアバンスは考えていた。
眉を寄せて黙りこくってしまったアバンスを見かねたのか、睨みつけるような顔のエミリアは、すぐさま微笑んでこう伝える。
「あははっ、もしかしてアバンス、またこの大陸に隕石が降る、なぁーんて思ってたりする?
そんなこと無いのぐらいわかるでしょ~。寺子屋で一緒に習ったんだから。
『ここ数百年隕石は降ってません』って。」
「そ、そうだよな。…いやでも、それは過去の話であって…」
「もうっ、心配しすぎ。隕石が降るだけでも珍しいのに。
こういうの『鬼柳』って言うんだよ?」
「違うからな。『杞憂』だからな。…でも確かに、今回ばかりはエミリアの言うとおりかも。
俺の考えすぎか。」
「そうだよ!アバンスらしくないよ、どうでもいいことで悩むなんて!」
「ついに『どうでもいい』って言っちゃったよコイツ……。お前ほど無関心なのもヤバいんじゃないか?」
時はもうすでに8時を過ぎ、9時に至ろうとしている。
雪は既に止み、極寒の地とよばれる氷結界に、暖かな太陽の光が差し込む。
結局、アバンスの危惧するところが何だったのかは、本人にすら分からない。
あまりにも衝撃的な出来事で感情に響いたのか、事故で亡くなった人々への同情か、それとも―――
(――けど、今は、この幼馴染との久々の会話を。
聞集を中断してまで優先したんだから、その分楽しまないとな。)
彼女の興味を惹く話題を探しつつ、彼はそう思ったのだった。
「あ、そうそうアバンス、さっきは無視されたけど、レッド・ドラゴンにはね、別名があって―――」
「タイホーン2。」
「…へ?」
「だから、タイホーン2。」
「せ、正解…。」
『凶悪な味が刺激的』で有名な高級食材、マッド・ロブスター。
その今年の国内引き上げ数が例年の約6000匹を下回り、約3000匹である事が氷結界海洋庁(IOA)漁業委員会によって公表された。
マッド・ロブスターは北東の寒流から流れるプランクトンを食べるため、寒流域に多く生息している。
氷結界ゴギガ州ガガギゴ区の漁師であるR・K氏によると「今年はマッド・ロブスターの餌であるプランクトンが減少している。去年も不調であったが、今年ほどではない。こんな事は今まで(漁業を)やってきて、無かった。」と語っている。
IOA漁業委員会は、北東の炎の国々の内戦が過激化し、そこで使用する軍機廃油や、海戦の際に火計で使用する油などが原因と見て調査を続け―――
(何だよこれ。ただのトバっちりじゃん…。)
早朝、雪が深々と積もる小さな公園。
その公園へ訪れる者は少なく、辺りには降る雪以外に動くものは無い。
そんな中、公園のベンチに座る一人の白髪の少年が、白いため息を吐きながら顔を上げた。
11、2歳位のその少年は、極寒の地にふさわしい見事な厚着である。マフラーに手袋、4重5重に重ねた服を羽織っており、顔以外はむしろ暑いのではないか、といった具合の重装備であった。
手には一冊の本。
少年のズボンのポケットにも収まるサイズのそれは、ここ数日の国内外の出来事をまとめた、氷結界聞集(ブンシュウ)と呼ばれるものであった。
定期的に発行される物で、氷結界に関する情報を知る数少ない方法の一つである。
(たしかに軍機廃油が原因という可能性は無くは無いけど、そんな大量に垂れ流している訳でもあるまいし…。)
(最近、紅蓮地帯の国とこの国は関係が良くない気がする。特に「フレムベル」か。)
(紅蓮地帯との戦争を国民に促してるって事かなぁ。だとすると母さんや“アイツ”母親も……うぅ~ん)
「なんだかなぁ…。」
「何?どうしたの?」
「ッ?!うおぁ!!…びっくりしたぁ、お前かよ。」
聞集を読む事を中断し、あれやこれやと少年が考えているうちに、一人の少女が満面の笑みで隣に座っていた。
赤色のウェーブが掛かった髪を左右で均等に結んでおり、少年よりも背は劣るが、同年代といったところである。
しかし、特筆すべきはその服の薄さ。―――いや、スケスケという意味ではない。「この寒さにしては薄着すぎる」という意味だ。
別段、露出度の高い服を着ている訳ではないが、脇腹や肩など、所々に肌色が見える部分がある。にもかかわらず少女は、鳥肌どころか寒がる様子すら微塵にもない。
厚着の少年と肩を並べると、何とも珍妙な光景の完成である。
ただ、この光景も“氷結界”では珍しい事ではなかった。
何のことは無い。氷結界は古来より伝わる魔法として保温魔法が存在し、それで少女は体温を保っているのだ。
これが唱えられないと、少年のように無駄に着込まなければならず、戦での身動きが取り辛くなる。
その分、常に魔力を消費する。が、メリットの方が断然大きい。
氷結界の民にとっては、幼少から唱えられて当然、8歳で常識レベルなのだが――少年は才に恵まれていなかった。
「だぁああ、心臓に悪いんだよ!音もなく近づいてくるなとあれだけいっただろ?!。」
「そんなつもりないもん。《アバンス》が気づいてなかっただけでしょ?
…それで、何やって――あーぁ、また“それ”なの?」
少女が心底煙たそうな顔をして指を差した“それ”は、無論「氷結界聞集」である。
そう、少年《アバンス》がここで聞集を読むのは一度や二度の事ではない。
初めは軍人の母に、「自国のことぐらい、人並みには知っておきなさい。」と勧められて渋々――といったところであった。
が、意外にも彼の性に合ったのか、止めるに止められず癖として残ったのか…。
いずれにせよ、毎朝早めに起床し、目覚まし代わりの散歩の一環として、この静かな公園で近日の情報を得るのは彼の習慣になっていた。
だが、この習慣には邪魔が入ることがある。
4日に1度位のペースで、アバンスの目の前の少女――《エミリア》が突入してくるのである。
エミリアとアバンスは家が近くにあり、尚且つ彼らの母親同士が親友兼同僚のため、幼少の頃からの付き合いである。
そんな環境と、根っこからの性格も合ってか、エミリアはアバンスに対して遠慮が皆無。
毎度の如く聞集の蔑みから始まり、世間話へと話題が逸れていき――といった具合に、彼女は長時間喋る。喋る喋る。
読書なぞ、1ページ進める事すら困難である。
無論、アバンスはエミリアの部下でも従者でも奴隷でもない。
拒絶し突き放すことも可能であり、そもそも公園で本を読まなければ彼女と会う事もないだろう。
彼がそれらをしない理由は、彼女との談笑が嫌いではなかったから……かもしれない。
しかし、物事を無理矢理中断させられる事は嫌いであった。
「そうだよ、また聞集だ。こんなの読んでる奴と話しても、面白くもなんともないだろ?ほらさっさと帰れ。」
「うん、面白くないよ。でもカナブンに向かって話すよりはマシだもん。私はそこまで落ちぶれてないよ?」
「比較対象おかしいだろ、カナブンて。さすがの俺でもグサッとくるかもしれないぞ。」
「ふふふ、カナブンだけに?」
「どこが“だけに”なんだ?お前の家のカナブンはメンタル弱いのか。」
「昨日、お母さんの魔術研究を手伝ってる時に、カナブンを――」
「ああ、比喩じゃなく文字通りグサッと、ね。」
などと会話のドッヂボールを堪能しつつ、アバンスは聞集の目次の欄をのぞき、記事のタイトルを見始めた。
エミリアの会話を止める術を知らない彼は、諦めて自宅へ彼女を招待し、話を聞かざるを得ない。
無視して読みなおそうとすれば一時的な効果はあるが、次第に彼女が拗ねて、余計に読めなくなる――というのも理由の一つだが、最大の理由は何より“寒い”。寒いのである。
聞集の読書より時間の掛かるエミリアとの談笑を、こんな寒い中で繰り広げる余裕は、彼には無い。
その裏付けを象徴するのが、彼の見事なまでの厚着であり、
だからこそ彼女を、早急に暖かな家までお招きせねばならないのである。
今、彼が目次の記事タイトルを把握する理由は、大事な時間を邪魔立てされたことへの、せめてもの抵抗であった。
「――それでね、その国では《レッド・ドラゴン》の別名があるんだよ~!」
「……んー。」
「ねぇねぇ、なんだと思う!?」
「………ん~、あぁ~。」
「ねぇちょっと、アバンス!話聞いてる?」
「あー、…ごめんちょっと待て。」
「んぅ~、折角久々に会えたのに。確かに押しかけた私も悪いけど…。」
「自覚あったんだな…。それ直してくれよ、頼むから。」
「考えとく!」
「…。」
「…。」
――よし、3秒限りの沈黙タイムだ。ここで目次だけでも網羅しなければ!
そう思ったアバンスは全神経を眼球にそそぎ、ひたすら記事タイトルを記憶する。
アンカーランナーの如くラッシュを掛ける彼の眼は、ラストスパートの名を冠するにふさわしい動きであった。
「……。」
「……。」
「…で、レッド・ドラゴンだけど、なんだと思う?」
「……っ」
(くっ、予定よりも喋りだすのが早い!)
などと冷や汗を垂らしつつも、彼は目の動きを止めるつもりはなかった。
(あれ、この記事は…。)
が、あくまで「止めるつもりはなかった」だけである。
あれだけ忙しく動いていた眼球が今や、一つの見出しに釘付けになっていた。
「うわ、無視しないでよ。『チョット待て』って言われたから待ってあげたのに~。」
「…本当にチョットだったな。」
「あれ?今度は返答があった!……あー、なるほど!もしかしてアバンス、レッド・ドラゴンが嫌いなの?
ごめんね、嫌いな奴の話振っちゃって。」
「どうしてそうなった。どうでもいい話だから流してただけだよ。――そんなことはともかく、この記事見てみろ。」
「ど、『どうでもいい』って……。まぁいいや、何なに~?」
「エミリアは普段聞集読まないけど、この記事については分かる部分もあるんじゃないか?」
「『あの悪夢から半月 X-セイバー、新・総剣指令は《ガトムズ》』……“悪夢”って、隕石の奴?」
そう聞くエミリアの声色は、とてもどうでも良さそうである。
「そうなんだけど、お前関心なさそうだなぁ…。
集落一つが下敷きになったんだぞ?ちょっとはヤバいと思わないのか?」
「えぇ~?だってX-セイバーのいる“セイバー領”はここから遠いじゃん。現実味がないって!」
「遠くないよ、すぐ隣だぞ?」
「あれれ?そうだっけ?」
そういってエミリアは小首をかしげたが、特に真剣に考えているわけでもなさそうだった。
(はぁ…こいつ、大陸の事情に無関心だからなぁ…。)
などとアバンスは苦笑しつつ、自宅に向かうついでとして手短に話すとしよう、と思い立つのだった。
――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ―――
遥か昔から続くこの『大陸』の大戦は、下火になることは決してなかった。
寧ろその炎は、より一層激しく燃え盛っているようであった。
同種族の人間でさえ争いが絶えないというのに、異種族の獣人や龍人などは以ての外。
人々は時に団結し、時に裏切り裏切られ、時に滅び、また団結し――と、逃げられぬ渦の中を藻掻いていた。
数々の勢力が滅亡と誕生を繰り返していくうち、いつしか人々は、争いの火種となったものがなんだったのか――そんな事すら忘れていく。
それだけ長い長い間、互いに潰し合い、殺し合い、憎しみ合ってきたのである。
そんな中アバンス達が生まれた“氷結界”は、大陸の最南端を占める大国である。
主な在住種族は人間族、現存する勢力の中で最も長く栄えている国であり、国の大半が氷河に覆われている。
南は豊富な海産物が獲れる海洋に面しており、隣接するのは、溶岩と活火山が大部分を占める北東の“紅蓮地帯”、空に浮かぶ岩――浮遊岩と温和な平原が存在する真北の“ナチュルの森”。
そしてさらに北には広大な山脈地帯と湿地帯が存在し、そこは“霞の谷(ミスト・バレー)”と呼ばれている。
“それ”が起こったのは、北東の紅蓮地帯でも真北のナチュルの森でもない。
氷結界から見て北西に隣接し、ナチュルの森からは西に隣接する、金属生命体「ジェネクス」の生息地――通称“セイバー領”とよばれる地帯だった。
そこは元々、氷結界とは比べ物にならないほどの小勢力が点々としていた無法地帯であった。
勢力と言えば聞こえはいいが、ほとんどの勢力の規模は非常に乏しく、『集団』と言った方が良いかもしれない。
その中の最大勢力が『X-セイバー』である。
総剣指令《ソウザ》を筆頭とする傭兵集団で、兵こそ少ないものの優秀な将達が指揮を執り、急速に領土を広げていった。
そんな彼らが、紅蓮地帯や氷結界などの地帯外の全勢力と、「セイバー領不可侵条約」を勝手に取り付けたのが、“セイバー領”と呼ばれる所以である。
ジェネクス領不可侵条約とは、簡潔的に言えば「領外の国家が、X-セイバーこそジェネクス生息地の支配国家に相応しいと認め、“内戦”が終結するまで、ジェネクス生息地に干渉しない。」―――というものである。
勿論この条約を結ぶために、X-セイバーが大国に数々の貢物をしてきたのは言うまでもない。
何はともあれ、この条約のおかげで、X-セイバー以外の小勢力は、セイバー領の外からの援護を取り付ける事が出来なくなってしまったのだ。
無論、領内で反X-セイバー連合が結成されたが、元々一枚岩ではないためか、X-セイバー軍の勢いを止めることはできない。
反X-セイバー軍の獣人族を取り仕切る《ガラハド》は忍耐力のない将で、軍内で最も現状に痺れを切らしていた。
そして、ついに半月前、連合兵の一部を勝手に拝借し、X-セイバーに属する警護の薄い市街地に夜襲を仕掛けたのである。
結果的に言えば夜襲は成功。連合軍は見事、兵糧の源の一つを確保した。
―――かに見えたが、それを奪還すべく、X-セイバーの総剣指令直属部隊が駆けつける。
ガラハド軍の数は約1000。対し、その部隊は500余りであった。
にも拘らず、ガラハド軍は一気に衰弱。敗因は士気の低さと将の統率力である。
そして、X-セイバーの老将《パシウル》がガラハドを抑え込んだ時、―――“それ”は落ちて来たのだった。
――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ―――
「で、そこで隕石が降ってきたの?」
「そうそう。直径半町あまりの隕石が、街のど真ん中に降ってきたらしい。」
「半町?!…えぇ~?意外とちっさいじゃん。そんなので街がボロボロになったの?」
信じらんないなぁと、エミリアは湯呑を上げつつ、ジト目でアバンスを睨みつける。
半町とは約55mのことである。彼女が疑うのも無理はない。
「お、俺に言われても…。実際に見たわけじゃあないし。」
「じゃ、やっぱり嘘吐いてたんだよ、X-セイバーが!
…こういうの何て言うんだっけ?「グッチあげ」?」
「何だそれは。「でっち上げ」だろ。
――まあ、大きさはどうか知らないけど、一瞬で街1つがボロボロになった事は本当だと思う、うん。
聞集には衝撃波がどうのこうの…って書いてたけど。」
ここはアバンスが母と共に暮らす家。
定石通り、彼はエミリアを招き入れる事になったわけである。
アバンスの父は彼が幼少の時戦死し、母は仕事で、こちらも家にいることは滅多に無い。
だからといって子供をほっぽり出す親ではなく、休暇にはきちんと息子を気にかけていた。
エミリアも同様の家庭であり、二人は多忙な母達を、家事を請け負う事で支えていた。
そして、今回も今回とて家にいるのは二人のみである。
エミリアが来る日は、リビングにて床に座り、お茶を飲みつつ談笑するのがお決まりになっていた。
「そうかなぁ…。ホントにそうだったとしたら、可哀そうだけど。」
「お前他人事って感じだなぁ…。もしここに降ってきたら恐ろしいとか思わないのか?」
「う~ん、確かにそう考えると恐いけど、ホントに他人事なんだもん。
アバンスこそなんでそんなに恐がってるの?」
「俺か?別に、恐いわけでは……」
「一か月前の隕石の記事でもそんな感じだったよね~。何か焦ったような顔してさ。
他の記事だと平気なのに。あっもしかして……アバンスって隕石恐怖症ってやつ?」
「そ、そんな病気あるわけが……無いと思うけど…。」
ずいっ、と、やはりジト目で迫るエミリアに対して、アバンスは言葉が詰まる。
思い起こしてみると、確かに何故だろうか。
アバンスは、時事的な出来事にあまり感情移入しない方である。
マッド・ロブスターの件でも、戦争に赴く母を心配することはあっても、イメージダウンを受けた紅蓮地帯の国や、不漁で愚痴る漁師に同情する事は無かった。
なのに今回の隕石の件では、言い知れぬ不安が拭えないのだ。
(この大陸ではここ数百年間、隕石が降ったことはない。ましてや、連続して隕石が降るという事もないはず…。)
(だというのに、この感じはなんだろう?)
そうアバンスは考えていた。
眉を寄せて黙りこくってしまったアバンスを見かねたのか、睨みつけるような顔のエミリアは、すぐさま微笑んでこう伝える。
「あははっ、もしかしてアバンス、またこの大陸に隕石が降る、なぁーんて思ってたりする?
そんなこと無いのぐらいわかるでしょ~。寺子屋で一緒に習ったんだから。
『ここ数百年隕石は降ってません』って。」
「そ、そうだよな。…いやでも、それは過去の話であって…」
「もうっ、心配しすぎ。隕石が降るだけでも珍しいのに。
こういうの『鬼柳』って言うんだよ?」
「違うからな。『杞憂』だからな。…でも確かに、今回ばかりはエミリアの言うとおりかも。
俺の考えすぎか。」
「そうだよ!アバンスらしくないよ、どうでもいいことで悩むなんて!」
「ついに『どうでもいい』って言っちゃったよコイツ……。お前ほど無関心なのもヤバいんじゃないか?」
時はもうすでに8時を過ぎ、9時に至ろうとしている。
雪は既に止み、極寒の地とよばれる氷結界に、暖かな太陽の光が差し込む。
結局、アバンスの危惧するところが何だったのかは、本人にすら分からない。
あまりにも衝撃的な出来事で感情に響いたのか、事故で亡くなった人々への同情か、それとも―――
(――けど、今は、この幼馴染との久々の会話を。
聞集を中断してまで優先したんだから、その分楽しまないとな。)
彼女の興味を惹く話題を探しつつ、彼はそう思ったのだった。
「あ、そうそうアバンス、さっきは無視されたけど、レッド・ドラゴンにはね、別名があって―――」
「タイホーン2。」
「…へ?」
「だから、タイホーン2。」
「せ、正解…。」
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